日本景気の誇りの柱

 

諒

「転職10回経験」「2箇所の宗教にはまる」「1,200万円自己投資して上手くいかなかった」→「自殺衝動浄化+アフィリエイト年商3億円」を達成した過程をまとめました♪

 

僕は生まれてから37年間で、以下のような「地獄・修羅場」を経験してきた人間です。

 

大島諒一の地獄のプロセス

  • 生まれてスグ「死の危険」に遭遇(呼吸困難状態で生まれる)
  • 17歳の大学受験勉強時代に「自殺未遂を図る」
  • 「12年の貧乏生活&借金生活6年」
  • 宗教やマルチにハマり「自己投資1,200万円」
  • 「失業保険3回受給」&「転職+失業10回」

 

その一方で「何度でもチャレンジし、成功し続けてきた男」であり、そのプロセスで自尊心(セルフ・リスペクト・マインド)も取り戻してきました。

 

大島諒一の自尊心復興プロセス

  • 「24歳時点」で「自殺寸前の半人前(期間工のフリーター)」
  • 「32歳時点」で「東京上京+転職10回」&「8年かけて“一流のビジネスマン達成”」
  • 「37歳時点」で「5年かけて年商3億円のアフィリエイター」&「“一人前の起業家”達成」

 

そんな「情けないクズ→立派な誇り高い大人」に至ったプロセスを赤裸々に語る事で「あなたが自尊心を復興する気付き」を提供していきます♪

 

この記事を通して少しでも「ラクで快適な人生を作るサポート」をするので、ぜひ参考にしてください♪

 

目次
  1. 【0歳〜6歳】誕生〜幼稚園
    1. 生まれてすぐ死にかかりつつ誕生
      1. 主に祖父に溺愛されて育った
  2. 【7歳〜15歳】多感な小中時代
    1. 小学生時代は友達と遊び回る
    2. バス釣りにハマった中学生時代
  3. 【16歳〜21歳】天国と地獄の高校大学時代
    1. 人生の黒歴史となった高校時代
    2. カラオケ/テニス/飲み会の大学時代
      1. 車/青春18切符などで飛び回る
    3. ディーラー就職決定後の入社前研修
  4. 【22歳】会社員人生を諦めた3ヶ月退職
    1. 手取りを貰って愕然とした4月
      1. 半泣きの4月後半〜5月前半
    2. 不眠で退職を決めた5月〜6月
      1. 確認が未熟でキレられた経験
      2. 取引先の車にぶつけてパニック
      3. 先輩の一言で退職を決意
    3. 転職先も1〜2週間で退職
    4. 自殺を考えながら1ヶ月引きこもり
    5. 修行と定めた公務員予備校生時代
  5. 【23歳】ネットワークビジネス体験談
    1. 一流を学ぶ為にネットワークビジネス参加
      1. 参加決意した理由
    2. 未知の大人と出会い衝撃を受けた
      1. 何度も救われた経験
  6. 【24歳】工場のライン作業体験談
    1. ネットワークビジネス開始
    2. 社会人リハビリ(3ヶ月〜1年)
      1. 高額研修で東京上京を決意
    3. 一通りの工程を経験(1年程度)
  7. 【25歳】東京上京体験談
    1. 失業給付なしで日雇いバイト生活
      1. 悔しかった100円チョコ事件
  8. 【25〜27歳】OA事務職体験談
    1. 僕の事務職体験談1年目
      1. 研修上級編で営業再転職を決意
    2. 僕の事務職体験談2年目
  9. 【25〜26歳】東京で馴染む為に挑戦した事
    1. タワマン内覧した事
    2. ベンツのお店に行った事
    3. グランドエクシブ浜名湖に泊まった事
    4. セレブタウンを歩き回った
    5. 財布をルイヴィトンに買い替えた
    6. ぐるっとパスや青春18きっぷで東京を巡った
  10. 【27歳】広告系会社の新規開拓営業体験談
    1. 入社1〜3ヶ月はテレアポに葛藤
    2. 初めてテレアポ成功した時
    3. 初めて受注が決まった時
    4. 営業能力不足の為半年でクビ
      1. 中々転職できず親にお金を貰う
  11. 【27〜28歳】老舗の通信IT系営業体験談
    1. 僕のIT系営業体験談1年目
    2. 僕のIT系営業体験談2年目
      1. 副業ブログ独立を目指すが失敗
  12. 【29歳】IT系営業から天職へ
    1. 通信IT系グループ会社へ再転職
      1. 占いでWEBライター転職を決意
  13. 【30〜32歳】WEBライター体験談
    1. 医療系会社でライター初挑戦
      1. 天職不安を感じて電話占い利用
    2. 転職系ライターで経験が花開く
  14. 【32〜35歳】起業への独立体験談
    1. 復興後以降の未来相談
    2. 同じ悩みを別占い師にメール相談
    3. 実家に帰ってトラウマと格闘
  15. 【35〜36歳】右肩下がり人生浄化体験談
    1. 浄化が必要だったトラウマ
      1. 歪んだ親子関係トラウマ(父親)
      2. 歪んだ親子関係トラウマ(母親)
      3. 歪んだ親子関係トラウマ(両親)
    2. 親に対して何度もキレる
      1. イヤな事はキッパリ断る練習
      2. 筋トレして丹田を鍛える
      3. 撃退成功イメージを刷り込む
    3. 潜在意識浄化で親と心理的和解
      1. 親の脛を齧ってる時の家族旅行
      2. 潜在意識変革で現実が変わる
      3. トラウマを浄化するのは怒り
  16. 【36〜37歳】社会的自尊心復興体験談
    1. 親を超えて社会的影響力発揮が始まった
      1. 吠える犬を放置する中年夫婦
      2. 咽せながらタバコを吸う中年男性
      3. 爆音バイクで出退勤する若者
    2. 辛く苦しい15年間で得た自尊心

【0歳〜6歳】誕生〜幼稚園

大島諒一のプロフィール 【0歳〜6歳】誕生〜幼稚園

 

諒

そこから話すのかよ!って感じかもですが、まずは僕の【0歳〜6歳】誕生〜幼稚園時代をサラッと伝えます

 

生まれてすぐ死にかかりつつ誕生

 

僕は1986年9月22日生まれですが、生まれてすぐ死にかかりつつ誕生したという経緯があります。

 

具体的には「自分の排泄物(うんこ?)が出産前に喉に詰まった為“オギャー”と言わずに生まれてきた」との事。

 

その為、お医者さんが急いで「この子は息してない!」と判断し、足を掴んで背中を叩いて異物を吐き出すことができたようです。

 

 

その後は「赤ちゃんの集中治療室」のような所に入っていたようですが、脳の後遺症などもなく無事に出てこれました。

 

刃牙 赤ちゃん

出典:刃牙

 

その為、母親からは「あなたは本当なら死んでいた子かもしれないのよ…」と言われてきた為「自分は世の中に居てはいけなかった存在なのでは?」という刷り込みになってしまった側面もあります。

 

なので「自分は神様や世の中に愛されている、価値ある存在だ♪」と刷り込みを上書きするのに、非常に時間がかかりました(苦笑)

 

諒

思考(思い込み)が現実を創る

主に祖父に溺愛されて育った

 

とは言え、生まれた時から「比較的大柄な体で生まれており、周りの子に比べてすくすく育った」上に、主に祖父に溺愛されて育ったという側面もあります。

 

具体的には、名古屋市の下町にある「祖父母・両親・僕」の三世帯家族に生まれ、なおかつ祖父にとっては「自分の血筋(大島姓)で初めての男児」だった為、大変可愛がってもらいました♪

 

※後に妹が二人産まれてますが「祖父にとっては、子供が四姉妹で末っ子以外は嫁いで行き、大島姓の孫で男児は僕だけ」だった(父が“僕が1歳半の頃”に婿養子となり、僕の苗字は“繁木→大島”に変わった)

 

大島家家系図

大島家家系図

 

そして祖父は「大正生まれで戦争経験者、戦後は警察官として働いた人」で、警察系のイベントや従軍時代の関係者が自衛隊入隊していたこともあり、自衛隊イベントによく連れて行ってもらいました。

 

自衛隊イベント

 

他にも、幼稚園までで思い出深いのは「父兄参観(現:保護者会)で、父親が新聞紙と糊と牛乳パックでカッコいいロケットを作ってくれたイベント」です。

 

父はトヨタグループ技術者のため、図面を引いたりするのが得意みたいなのですが「こんなありふれた物で、カッコいいロケット作れるなんて、お父さんスゲー!」と興奮したのです♪

 

そしてその後「父親のカッコいいロケットに影響を受けて、紙粘土の授業で自分なりのロケットを作った」りしました。

 

ロケット

 

中々斬新な色使いですが、当時幼稚園の僕にとっては「ヒーローの色は赤×青でしょ♪」位のイメージで配色したのでしょう♪

 

 

また、僕が通っていた幼稚園は「モンテッソーリ教育=子供の自主性を育む教育」を施しており、その影響か?両親には様々な「習い事」をさせてもらいました。

 

幼稚園時代に受けた習い事例

  1. 友達と一緒にサッカー教室
  2. ヤマハの音楽教室でエレクトーンの練習
  3. 近所の幼馴染と一緒にボーイスカウト
  4. 近所の家で公文式
  5. 水泳教室 など

 

結局どれも長続きしませんでしたが「友達と一緒に楽しいことをする」「人に影響を受けやすい」「飽きるまで夢中でやる」という性格・個性は、この頃に育まれたようです。

 

※ちなみに僕の家庭状況を正直に書くと「祖父が警察署長」「父がトヨタグループのマネージャー」だった為、おそらく「世帯年収2,000万レベル」で、経済的に多少余裕がある「下町の中流家庭ボンボン出身」でした

 

 

そして、幼稚園アルバムには「将来の夢は警察官」と表明したようですが、これは「サッカーを辞めた為、サッカー選手と言うのを辞めて、おじいちゃんに連れてってもらった警察イベントの記憶を思い出し、思わず警察官と答えた」と記憶しています。

 

幼稚園 卒業アルバム

 

正直「何が何でも警察官!」という意識はなく、多感な子供時代の瞬発的な宣言だったのですが、おじいちゃんは「諒一君も将来は、おじいちゃんみたいに警察官かぁ♪」と喜んでくれてたようです♪

 

【7歳〜15歳】多感な小中時代

幸福

 

諒

そしてすくすく育っていき【7歳〜15歳】多感な小中時代を過ごしました。

 

小学生時代は友達と遊び回る

 

小学生時代は友達と遊び回る時期でした。

 

そもそも、世代的に「ゲームやおもちゃが色々流行していた時期」の為、色々友達と一緒に熱中していたのです。

 

小学生時代に熱中した物

  1. 低学年の頃から「ミニ四駆」で遊ぶ
  2. ミニ四駆の次は「ハイパーヨーヨー」が流行り出して遊ぶ
  3. 高学年から「ポケットモンスター」「遊戯王」が流行り出して遊ぶ

ミニ四駆

 

写真は「28歳ごろにミニ四駆熱再燃して作った物」ですが、このように色んな遊びに手を出すヤンチャ少年でした♪

 

さらに、小学生の頃は「周りの友達より身長10cm+体重10kg以上多かった」為、この頃は周りにデカイ奴扱いされていました。(背の順で後ろから1〜2番目)

 

小学生 卒業アルバム

 

その為、この頃から父親に「お前は体がデカイんだから手を出したりするなよ!」と兄妹喧嘩で叱られたりして「無意識に人との距離感を避ける癖」が付き始めてもいました…。

 

バス釣りにハマった中学生時代

 

「グランダー武蔵」が流行っていたのもあり、小学生時代から続けていたバス釣りにハマった中学生時代の記憶も印象深いです。

 

確か「始めて3年目でやっと釣れるようになった=小五頃に始めて、中一〜中二で釣れるようになった」はずです。

 

バス釣り

 

他にも「19」「ゆず」「コブクロ」など、2人組アコースティックギター(アコギ)グループが流行っていた事もあり「音楽で食っていく」と言ってた友達に影響を受けて、アコギを買ったりしました。

 

※結局、Fコードという「指で全部の弦を押さえて弾くワザ」が出来ずに諦めましたが…

 

 

そして、中学時代になると周りの友達も成長期を迎えて、特にバスケ部あたりから「シマ(僕のあだ名)を抜かすのが楽しみ」という、身長成長の基準にされたりしました(苦笑)

 

中学生 卒業アルバム

 

そんな遊びまくった中学時代から、御多分に洩れず高校受験を受け、父から言われていた「中流を目指し、出来れば中の上でいなさい」という目標に沿って、偏差値55レベルの高校に入学できました。

 

【16歳〜21歳】天国と地獄の高校大学時代

高校 大学

 

諒

そして、反抗期を含めて色々あった【16歳〜21歳】天国と地獄の高校大学時代を過ごしました。

 

人生の黒歴史となった高校時代

 

まず、人生の黒歴史となった高校時代を経験しました。

 

詳しいことは後で書いていますが、要点としては「17歳頃の大学受験前に自殺を図った」のです。

 

 

他にも「校舎は古くて汚い」「女子には“クサい…”と言われた」「テニス部では財布を盗まれた=それが嫌になって1年で辞めた」「文化祭ではヤンキーにキレられた」など、正直良い思い出はありません…。

 

※何回か仮病を使って保健室にサボりに行ったり、受験頃は学校に行かな過ぎて「もうちょっと来なさい」と怒られたりしました…

 

出典:刃牙

 

そして、卒業アルバムを見返しても「死んだ魚の目」をしていて、我ながらよくあの時死ななかったなぁと思ったりもしています(苦笑)

 

高校時代 卒業アルバム

 

とは言え、相変わらず父親に言われた「中流を目指せ、出来れば中の上で」を律儀に守り、偏差値55レベルの私立大学に合格して、地獄の黒歴史時代を乗り切ったのです。

 

カラオケ/テニス/飲み会の大学時代

 

そして、自殺未遂だった暗黒の高校時代を乗り切り、カラオケ/テニス/飲み会の大学時代に入って行きました。

 

僕の大学生時代

  1. 週3日(月水土)は「ゲーム販売店でバイト」
  2. 週2日(火木)は講義の後に「テニスサークル」でテニス三昧
  3. 金曜は友達と飲んだり「サークルの飲み会」に参加
  4. 講義が終わって何もない日は「友達とカラオケで叫びまくる」

 

とくに大学時代で嬉しかったのは、大学2年生進級時におじいちゃんから「諒一君はよく頑張ってるし、大学も遠いから、このお金で車を買いなさい♪」と、100万円を貰った事です。

 

当時のバイトの稼ぎは月5万円程度であり、10万円以上のお金を手にした事がなかった為、めちゃくちゃ舞い上がったのを覚えています♪

 

諒

ひゃ、100万円!おじいちゃんありがとう♪ウヒョ〜♪

 

そしてそんな後押しもあって、人生初のマイカーに選んだのが「トヨタMR-2」です♪

 

トヨタMR-2

トヨタMR-2

出典:ガリバー

 

こんな感じの黒ボディで「ライトが開閉式のリトラクタブル」「エンジンが後部にある2人乗りミッドシップ」といった、個性モリモリのスポーツカーの相棒を得たのです♪

 

車/青春18切符などで飛び回る

 

そして「車を手にした暇な文系大学生あるある」ですが、車/青春18切符などで飛び回るという楽しい時期も経験しました♪

 

具体的には「ソニーのデジタル一眼レフカメラ・α200」を買って、写真撮影と共に色々な所に出かけたのです。

 

大学生時代に家族と行った旅行

\京都/

京都旅行

\伊勢/

伊勢神宮

\ハウステンボス+黒川温泉/

ハウステンボス

黒川温泉

\篠島(愛知県の離島)/

篠島

 

基本的に親の臑(スネ)を嚙って行った旅行なので、バイト代などは出ていかず、贅沢な旅行になりました♪

 

とくに「篠島」はおじいちゃんがまだ歩けた時期で「家族7人で行った最後の旅行」となり、非常に感慨深いものがあります…。

 

諒

おじいちゃん…(涙)

 

そして他にも、大学生時代には「青春18きっぷ」を利用して、名古屋から近隣の観光地へ色々出掛けて行きました♪

 

青春18きっぷで行った場所

\馬籠/

馬籠

\京都/

京都

\奈良/

奈良

\サツキとメイの家/

サツキとメイの家

\敦賀/

敦賀

 

このように飛び回りましたし、とくに「卒業までの1年」は、卒業旅行タイムと思って遠出も沢山しました♪

 

友達と行った卒業前旅行

\北海道/

北海道旅行

\日光〜東京/

日光 東京

 

北海道は家族旅行経験後にハマってしまい、友達と改めて2人旅で行ったら「デカすぎ広すぎ」で興奮しながら「道東・女満別空港→新千歳空港まで7日間1000km横断旅」を実行しました♪

 

諒

北海道はでっかいどう〜♪

 

また、日光〜東京の旅も別の友達に誘われて行ったのですが、最初は日光と東京ぶらぶら旅と聞いていたのに「実はAKB劇場のライブチケット2枚当たってるんだけど、そっちも行かない?」という裏企画があった、策士旅行でした(苦笑)

 

当時はまだ「AKB総選挙」もないブレイク前だったので「AKB?アキバのアイドル集団?」位に思って行ったのですが、今思えば良い体験をさせてもらいました♪

 

※「全然オタクじゃないと思ってた友達」からの急なカミングアウトだったので驚きましたが…

 

 

そして最終的には「卒業旅行で海外に2回行く」という、生まれて初めて日本を出る経験をしたのです。

 

友達と行った卒業旅行

\ラスベガス/

ラスベガス1

ラスベガス2

\グランドキャニオン/

グランドキャニオン

\ザイオン国立公園/

ザイオン

\中国・北京/

中国1

中国2

 

このように「大学生特有の自由な時間と、バイトで貯めたお金で貧乏旅行」を楽しんだわけですね♪

 

※ちなみに大学時代は「GLAY」「L’Arc〜en〜Ciel」「ASIAN KUNG-FU GENERATION」「BUMP OF CHICKEN」「RADWIMPS」などのバンド全盛だった為、茶髪+長髪は多かったです

 

大学卒業アルバム

ディーラー就職決定後の入社前研修

 

そして、色々旅行に行っている時期に並行して「ディーラー就職決定後の入社前研修」にも参加していました。

 

ディーラー就職決定後の入社前研修

ディーラー就職決定後の入社前研修

 

まぁ時効なので言いますが、男子6人・女子6人の12人位でしたが、女子のほとんどが可愛いor美人でテンション上がったのを今でも覚えています(笑)

 

※その内の1人には結構好意を持っていたのですが、その子を含めて「入社3年目(25歳)までで、ほとんどが結婚した」ようです(苦笑)

 

 

このように、学生時代を自分なりに楽しんだのですが「人間万事塞翁が馬」とはよく言ったもので「良い事ばかりの4年間から、地獄を成り上がる社会人生活15年」がスタートしたのです…。

 

※人間万事塞翁が馬=「良い事の後には悪い事が起こり、悪い事の後には良い事がある」という“ことわざ”

 

【22歳】会社員人生を諦めた3ヶ月退職

大島諒一のプロフィール 22歳

 

諒

そして、僕の社会人人生は【22歳】会社員人生を諦めた3ヶ月退職という情けない始まりからスタートした為、その話も赤裸々にお話ししていきます。

 

手取りを貰って愕然とした4月

 

僕は「名古屋で“社員約200人の軽自動車ディーラー・営業マン”」として働き始め、手取りを貰って愕然とした4月からスタートしました。

 

正直言って、当時の僕は「転職活動を舐めていた」為、以下の理由で自動車ディーラーを選びました。

 

自動車ディーラーを選んだ理由

  • 「車好き」だから車の会社
  • 「文系大学卒」「口が上手い」から営業
  • 「お得意様巡りで楽そう」なルート営業マン

 

※実際「就活は自動車ディーラーの営業職に応募(3社)→最終面接到達(2社)→1社に絞って内定獲得」という流れで、全然活動しませんでした…。

 

カイジ 無気力

出典:カイジ

 

そして、年収は「基本給20万円(別途インセンティブ)+賞与年2回」だったので気にしなかったのですが、なぜか入社前に「実家暮らしか?の事前確認」をされました。

 

それから、入社後の初任給で「社員自家用車制度」「確定拠出年金」という別途支出金額が発生しており、実際は「かなり貧乏初任給」だと判明したのです…。

 

入社当時に実家暮らしか?確認された理由

  • 手取り約13万円」=「基本給20万円-各種税金(約3万円)-確定拠出年金(約1万円)-社用車購入維持ローン(月3万円)」
  • 「社員自家用車制度」=社員が普通自動車1台を「自家用車&社用車」として購入するノルマがあり「月3万×12ヶ月×3年=108万」程度で「ローン完済&購入を繰り返す制度」
  • 売れても50万以下の為、実質「3年間の年収が50〜60万円少ない」のと同じ(毎年約20万円減)

 

このように「アルバイト+αの月収」しかなかった為「入社1年目に一人暮らし生活はほぼムリ」だったわけですね…。

 

※もちろん「インセンティブ達成=約5万円程度UPの見込み」はありましたが、それでも約20万円程度でしたから…。

 

半泣きの4月後半〜5月前半

 

そして「入社後2週間は本社研修」「その後は2週間各支店で挨拶回り」という慌ただしい4月前半を終え、半泣きの4月後半〜5月前半となりました。

 

なぜなら、係長(約20歳年上)から「とにかくパンフを変えに行ったり、顔を見せてこい!」という指示しかなかったからです…。

 

 

当時の僕は「言われた事を行う」という考え方しか無かった為「でも、お店行ってパンフ変えて回るって、それだけ?邪魔にならない?」という思考硬直に陥ったのです。

 

しかし、実態は「受注話が出る→モータース屋の社長と係長を繋ぐ→電話越しに値引き交渉依頼する」という繰り返しでした。

 

 

しかも不運な事に、僕は「名古屋でも治安が悪いエリア担当」となり「気性の激しい取引先VS係長」に挟まれた為、毎日胃が痛かった感覚を今でも覚えています…。

 

その上「前任者がムチャクチャな値引きで台数を稼いでいた担当地域」だった為、係長確認する度、なぜか僕がキレられたのです…。

 

係長VS取引先に挟まれた僕

  • 取引先=「今は1台からの利益も重要なんだから、もっと引けるでしょ?てか引けよ!」
  • 係長=「なんだその値段は?!そんなに割り引いたら赤字だってクソジジイに言っとけ!」

 

挙げ句の果ては「入社した2009年=リーマンショック直撃→どこを回っても相手がピリピリしてる現場」だったのです。

 

しかも、担当巡回エリアに「極道(ヤクザ)事務所」があったのもドキドキで、毎日ピリピリムードだった事もストレスでした…。

 

不眠で退職を決めた5月〜6月

 

当時の僕は「実家暮らし/彼女がいた事なし/親や上司のYESマン=自信なしのダメ人間」だった為、結局不眠で退職を決めた5月〜6月を経験しました。

 

確認が未熟でキレられた経験

 

まず退職を決めた出来事の一つに、確認が未熟でキレられた経験があります。

 

僕の場合「個人で各モータース屋(取引先)を回るルート営業」だった為「営業所に帰っても誰もいない=受発注作業を教えてくれる人間がいなかった」のです。

 

 

もちろん「最初に受発注を専用システムに入力する方法」は教えて貰いましたが、1回で覚えられるはずもなく「受注する度にあたふたした」のです。

 

そんなある時、取引先のベテラン営業マンに、そのあたふた具合にキレられた&ド叱られました…。

 

諒

車のお色は白で良いんですよね?本当に白で大丈夫ですか?白ですね?白なんですね?

上司

チッ!何回も同じこと聞きやがって?あぁ?白ったら白だ!そんな事も分からんのか!?何回も言わせやがって、ウゼェな!テメェ!

 

本当は「追加料金なしのピュアホワイトor追加料金ありのパールホワイト」を確認したかったのですが、上手く言葉が出なかった為、結局電話をガチャ切りされたのです…。

 

その為「追加料金なしのピュアホワイトと勝手に判断して納車」したのですが、納車後しばらくはクレーム電話が来ないかヒヤヒヤし、その後電話恐怖症にすらなりました。

 

取引先の車にぶつけてパニック

 

取引先の車にぶつけて夜がパニックになった経験もあります。

 

まだ新人で、なおかつ相手は怖いベテラン社員だったので、その日の夜は「怖くて動悸が早まるわ、うつになりそうで凹むわ」で涙が止まらなかったのです。

 

 

しかし「銀色の擦れが付いちゃったから、絶対バレてるだろうな…」と思って翌日謝罪訪問に伺ったのですが、何事もない雰囲気だったので隠したのです。

 

この時はド叱られることはありませんでしたが、数日は生きた心地がしませんでした…。

 

先輩の一言で退職を決意

 

そして極め付けとして、先輩の一言で退職を決意しました。

 

それは5月下旬のある日、たまたま営業所に戻り「食事のタイミングが一緒になった“約10歳上の先輩”と会話していた時」の事です。

 

3ヶ月で退職する気持ちになった引き金

  • 「10年上の先輩」が毎日カップラーメンなので、理由を質問したら「俺のお小遣いは月3,000円食費込みなんだよ…」と言われ、10年後の未来に絶望した

 

この先輩に対して、僕は「配属された営業所の次期係長候補=優秀な人」という認識を持っていました。

 

その為「それなりに生活は豊かな人なんだろうな♪」と思っていたのです。

 

 

ところが、実態は「同期の女性と結婚+奥さんが専業主婦化」「子供4人目を妊娠中」というカツカツ家庭だったのです。

 

 

その為、僕は「え?学生時代より苦しい毎日を10年経験したら、昔より経済的自由が減るの?」と頭の中が真っ白になり、計り知れない絶望を感じたのです…。

 

このように「毎日のストレス+10年後の未来に絶望した」為、休日に営業所出勤し、所長に泣きながら「辞めさせて下さい!」と宣言し、逃げるように退職したのです。

 

転職先も1〜2週間で退職

 

その後、急いで転職先を探した結果「7月1日付けで転職先(結婚式場カメラマン)」が決まったのですが、結局転職先も1〜2週間で退職しました。

 

具体的には「好きなことを仕事にしたい→趣味のカメラ経験を活かせる“結婚式場のカメラマンベンチャー会社”」に転職できたのです。

 

 

しかし、今思えば「ベンチャーあるある」ですが、以下のような就業状態に絶望したのです…。

 

転職したベンチャー結婚式場カメラマン企業の状況

  • オフィスは「マンションの一室」
  • 「就業規則」が全然ない会社
  • 「10時出勤〜終電ギリギリに帰宅」or「会社泊まり込み」が日常茶飯事

 

このように「一応19時頃には帰れていたディーラー営業マン→急に残業漬けになる恐怖にビビった」のです…。

 

その結果、転職後翌週の月曜日に「無断欠勤して市内をうろつく→携帯に数十回電話が来る→家に上司が来る(当時実家暮らし)→社長面談になる」という流れになりました。

 

そこで社長から色々罵詈雑言を浴びせられ、土下座して謝りましたが、数時間後に「クビです」と連絡を受けて失職しました(今思えば当然ですが…。社長すみません。)

 

自殺を考えながら1ヶ月引きこもり

 

そして「大卒3ヶ月で短期離職2回という職歴になった恐怖」を抱えた為、自殺を考えながら1ヶ月引きこもりを経験しました。

 

カイジ

出典:カイジ

 

具体的には、毎日何もする気になれず、1ヶ月間は以下のような自堕落生活を送ったのです。

 

自殺を考えた1ヶ月間

  • 「昼に起きる」
  • ご飯を食べたら「ベットでずっと目を瞑る」
  • 「ゲームやTV」=親に怒られるのが怖いから触れない
  • ひたすらベッドで「自殺衝動と戦う」&「心を殺す」

 

そして、絶望生活が1ヶ月ほど過ぎた頃、親から「会社員生活が怖いなら、公務員試験を受けたらどうだ?」と提案されたのです。

 

その為、その申し出に「藁(ワラ)にもすがる思い」が芽生えた結果、その提案を受け入れて、9月から公務員予備校生をスタートしました。

 

修行と定めた公務員予備校生時代

 

そして、修行と定めた公務員予備校生時代は「自分に自信をつける」事に一生懸命でした。

 

具体的には、以下のような生活を半年ほど続けたのです。

 

僕が公務員受験時に取り組んだ事

  • 「朝3時30分起き」で新聞配達員
  • 「8時〜9時」から予備校で自習勉強
  • 「授業or自習を21時」に終えて帰宅&就寝=「睡眠3〜4時間生活

 

そして「生まれてから23年間で一番頑張った半年」をぶつけて公務員受験したのですが、結果は全て不合格でした…。

 

しかも「BESTを尽くした県庁職員受験において“1,500名中約260位(合格者250名)”」だったのも、謎のやり切った感を生んだのです。

 

諒

えぇ…。これって「後2〜3問合ってたら、県庁職員だった」んじゃないの…。神様、俺に公務員になるなって言いたいの?

 

そして「このまま社会に戻っても、過去の繰り返しになる」と危機感を感じて「今までと違う選択肢を獲得する為に、視野を広げる」という覚悟で、行動開始したのです。

 

具体的には、半年間で以下のような挑戦を実践しました。

 

公務員受験後に取り組んだ事

  • 「2010年7〜8月頃」=大学のゼミ恩師に頼んで「ゼミ合宿に参加」させてもらった(仙台の自然学校ボランティア)
  • 「2010年7〜8月頃」=同じく先生の紹介で「海外旅行専門会社に勤める先輩」を紹介してもらった
  • 「2010年7〜8月頃」=同じく先生に同行して「キリスト教会の礼拝」に参加(ゼミの先生はクリスチャン)
  • 「2010年8月頃」=先輩の紹介で「海外青年協力隊参加を目指しながらカフェ経営する男性」を紹介される&そこで人脈を広げる(ここでネットワークビジネスの紹介者と出会う)
  • 「2010年9月頃」=先輩が企画した「タイ・山岳民族支援ボランティアツアー」に参加(僕以外の約10名は全員学生)

タイ・山岳民族支援ボランティアツアー

  • 「2010年10月末」=毎週日曜礼拝に通い続けた頃「りょうも洗礼を受けてみないか?」と牧師様に誘われ、洗礼を受洗
  • 「2010年11月」=「貯金が底を付いた+社会人リハビリする」為「工場のライン作業でアルバイト開始」
  • 「2010年11月頭」=ネットワークビジネスの紹介者&師匠と数回意見交換した結果「君と一緒にビジネスをやったら面白そう♪」と言われた後、事前告知を受ける
  • 「2010年11月末日」=「ネットワークビジネスの事業説明会」に日を改めて参加し「起業を前提とした会社員生活に挑む」と決意

 

このように「今までの価値観を根底から見直す挑戦」を繰り返した結果「自分の人生で出会った事がないタイプの師匠」と出会ったのです。

 

【23歳】ネットワークビジネス体験談

大島諒一のプロフィール 23歳

 

諒

そして「会社員でもない」「公務員でもない」生き方を決めた【23歳】ネットワークビジネス体験談が始まりました。

 

一流を学ぶ為にネットワークビジネス参加

 

このような状況を経験した後、一流を学ぶ為にネットワークビジネス参加しました。

 

先ほどまででお伝えした通り、僕は当時「自動車営業マンを新卒3ヶ月で短期離職+結婚式場のカメラマンを1週間退職+公務員試験受験も失敗」で、将来に悩んでいました。

 

※「愛知県庁職員を掲げて、1年間ガムシャラに勉強した」のですが、不合格だった為「来年も再受験するか?を考え葛藤する日々」でした

 

カイジ 覚悟

出典:カイジ

 

その為「今までの自分にはない選択肢を獲得する」という目標を立てて、半年間行動した結果「海外ボランティアツアー参加」「キリスト教での受洗」「ネットワークビジネス参入」を経験したのです。

 

参加決意した理由

 

ちなみに、社会的評価の悪いネットワークビジネスに参加決意した理由ですが、簡潔に言えば「紹介してくれた紹介者&師匠の社会的地位+人間性が素晴らしかったから」です。

 

僕にネットワークビジネスを紹介してくれた人々

  • 「紹介者」=某国立大卒業→「某大手財閥系“重工業会社”エンジニアのエリート
  • 「師匠」=某国立大学卒業→大手“自動車系部品メーカー”エンジニア勤務→20代後半でネットワークビジネスを軸に独立→「30歳前半で月収100万円を超えたエリート

 

このような経歴の面々だったわけです。

 

 

そもそも、当時の僕は「実家暮らし」「恋愛経験なし」「社会人歴ほぼ0」というダメダメ君だった為「同レベルの人経由での紹介」なら、きっと拒否していたでしょう。

 

しかし、社会人として立派に生きている紹介者や師匠のように「一人前の社会人になりたい!」という願望が沸き上がった為、評判が悪くても参加決意したのです。

 

 

そして、参入決意を決めた一番の理由は、既に僕から見て十分成功者なのに「これから僕は、東京に拠点を広げて、自分と仲間を信じ、可能性を広げ続ける」と、師匠に宣言された事です。

 

※「僕=現状縮小を食い止める事」「目の前の師匠=既に名古屋タワマン在住&ポルシェ所有者なのに、もっと現状を良くする事」を考え続けており、衝撃を受けたのです!

 

 

正直言って、この方々が「ベンチャー企業創業者」「NPO設立者」などであれば、それに参入していたでしょう。

 

しかし「たまたまその人達が“ネットワークビジネスをやっている”という状況だった」為、自分もそれを受け入れたわけですね♪

 

未知の大人と出会い衝撃を受けた

 

未知の大人と出会い衝撃を受けたのも、ネットワークビジネスへの参加覚悟を固められた要因です。

 

そもそも、当時は参加覚悟こそ出来ましたが、一方で「組織の全体像が分からない不安」も感じていたのです…。

 

※なぜなら、当時弟子入りを決めた師匠は「名古屋の実質的責任者」であり、その上に「数千人を統括する大師匠がいる」という話だった為

 

カイジ ブレイブメンロード

出典:カイジ

 

そんな不安を見抜かれたのか?参加宣言した数日後、紹介者から「今週末に、東京で大師匠と会えるチャンスがあるけど、行かないよね?」と聞かれたのです。

 

正直言って、当時の僕は「“新幹線や夜行バス”すら一人で乗った事がない人間」でしたが、思わず「行きます!」と宣言し、東京に日帰りで行きました。

 

※紹介者曰く「急な東京行き提案に乗るわけないと思っていた→行くと即断されて驚いた(紹介者の責任として同行義務がある為)」など、非常に焦ったとの事(苦笑)

 

 

そして、その時の出会いと経験が「ネットワークビジネスの印象は悪いが、この人達の元で学んでみたい」と思わせてくれたのです♪

 

大師匠に出会って衝撃を受けた体験

  • 大師匠は「主婦から社会人経験0」でネットワークビジネス成功者になった女性(自分と息子を守りたいという使命感)
  • 僕と同じく「名古屋から上京した女性」が、タクシーで3人同乗した際、泣きながら弟子入り理由を話していたら、その大師匠も“もらい泣き”で号泣していた
  • タクシー移動時に、大師匠は一番下座(後部座席の真ん中)に率先して座って下さった
  • 最後の懇親会で「何の社会的功績もない僕の話」を、数十分真剣に聞いて会話して下さった

 

お会いするまでは「組織数千人のTOPという先入観」が強かったのもあり「偉そうで上から目線の怖い人なのかな?」と構えていました。

 

※実際、組織数千人規模のTOPといえば「上場企業の社長並み」の為、偉そう&高圧的でも不思議はありません

 

 

しかし、実際に会ったら「新人の話に泣きながら共感」「自分が一番気配りするという覚悟が滲み出ている」など、人柄がステキ過ぎて、印象が180度変わったのです。

 

※「大組織のTOPが、新人の話に共感して泣けるか?」「僕を“金儲けの雑兵”と思っていたら、何十分も真剣に話を聞けるか?」と自問自答した上で確信を深めた

 

 

このように「こんな“輝いている女性”がTOPのチームなら、覚悟を決めて参加すべきだ!」と感じた為、ビジネス参入したのです。

 

何度も救われた経験

 

結果的に、そこでは「24歳〜31歳の7年間」お世話になりましたが、何度も救われた経験もあります。

 

何度も救われた経験

  • 生活苦で「名古屋に帰ろうかな…。」と悩んでいた時、偶然大師匠と会う機会があり、一言「良い男(になってる)」と目を見て褒められ、勇気付けて貰った事
  • 営業職に再転職した後、毎日泣きながら営業人生を歩んでいた時「師匠に何度も飯に連れて行って貰った→愚痴を聞いて貰った事」
  • 紹介者が、仕事や人生で悩んだ時に「何時間も一緒に語り合ってくれた事」
  • 「いつかは大成功しような♪」と励まし合った同期が、今では別の仕事で各々成功している事実(不動産業・運送系事業で成功)

 

後でお伝えしますが、このような支えがあったからこそ「既卒で東京上京転職」したり「3ヶ月で逃げた“営業マンへの再チャレンジ”」を成功できたのです。

 

※ただし「累計で1200万円近く組織参加などで支出一辺倒になった」為、現在は「ネットワークビジネスは参加しても良いけど、デメリットもデカイから“よく考えた方が良い派”」です

 

【24歳】工場のライン作業体験談

大島諒一のプロフィール 24歳

 

諒

僕の会社員人生再スタートは、【24歳】工場のライン作業体験談から始まりました。

 

ネットワークビジネス開始

 

当然ながら「ネットワークビジネスは親に猛反対された」為、実家で居心地悪い思いをしながら「6ヶ月で50万円貯金達成=2011年5月に一人暮らし開始&ネットワークビジネス開始」しました。

 

そして、弟子入りの通過儀礼が「ネットワークビジネス会社への入会+商品購入費用24万円+チームが開催するセミナーで学ぶ」だった為、その自己投資を実践しました。

 

※当時は「10万円以上の商品を買ったり、お金を使った事がほぼ無い人間だった」為、本当に一念発起でしたが…(苦笑)

 

カイジ 養分

出典:カイジ

 

しかし、そのおかげで「工場で時給1,150円のライン作業バイトという立場」ながら「一流のビジネスマンの師匠に、ビジネスを学ぶ機会を得た」のです!

 

そして、その結果「親から自主独立して生活スタート=自尊心を取り戻し始める事に成功」しました♪

 

社会人リハビリ(3ヶ月〜1年)

 

そして工場のライン作業では、社会人リハビリ(3ヶ月〜1年)を実践しました、

 

僕は名古屋にある「某財閥系企業傘下の電気会社」で「企業向け大型機械製作の工場ライン作業」に1年ほど勤めました。

 

当時は「23歳既卒でほぼ職歴なし」でしたが「Aの棒をBに置くといった簡単作業レベルの仕事」から、リハビリを始めたのです。

 

 

そして配属された部署では、大型機械を動かす基盤に「特定の部品を並べていく作業をする工程」に入りました。

 

入れ間違えると「次の作業の人が気づく」「最終通電チェックで不良品だと分かる」為、まず劣悪品が出回ることもなく、安心して作業に取り組めました。

 

とは言え、最初はラインのスピードに付いていけずに四苦八苦しましたが、3ヶ月も継続していたら自然と慣れてしまい、勤務中に眠くなる位でした(笑)

 

高額研修で東京上京を決意

 

そして、そんな社会人リハビリを行う中で「2011年8月上旬」に初めて参加した高額研修で東京上京を決意しました。(価格は随時変動)

 

ASKアカデミー・BASICコース

ASKアカデミー・BASICコース

出典:ASKアカデミー

 

そして、僕はこの研修に参加して、以下をコメットメントしたのです。

 

BASICコースで決めたコミットメント

  • 「月収100万円」を達成する
  • どこでも堂々と生きていける「一流のビジネスマン」になる

 

そして、このコミットメントは「名古屋で工場ライン作業バイトを続けていても、到底到達できない」と思い、一念発起して東京上京を決めたのです!

 

※「師匠が名古屋から東京入りをスタートしていた」のが、一番の決め手ですが…。

 

ONE PIECE

出典:ONE PIECE

一通りの工程を経験(1年程度)

 

そして、東京行きを覚悟した辺りから「他の作業も覚えて欲しい」と言われて別工程も対応し、一通りの工程を経験(1年程度)しました。

 

※ちなみに各仕事は「基盤に部品を置く→通電する為に“鉛の余分な部分”を専門機械でカット→プラスチック外枠組み付け→チェック」といった流れでした。

 

 

そのような工場バイトを続けていましたが「一人暮らし用品購入後に実家独立(5月)→研修参加(8月)」を経て、翌月(9月)に「来月仕事を辞めます!」と上長報告したのです。

 

「大島君は良く頑張ってくれるし優秀だから、正社員になる道もあると思ってたんだけど…。」と残念がってもらえましたが、結局約1年(11ヶ月)で辞めました。

 

もちろん正社員であれば、その後「ラインリーダー→マネージャー」というステップがあったのでしょうが、僕はその流れに乗っていなかった為、退職できたわけです♪

 

【25歳】東京上京体験談

大島諒一のプロフィール 25歳

 

諒

そして「工場ライン作業で貯めた貯金」を使って東京に上京した【25歳】東京上京体験談が始まりました。

 

失業給付なしで日雇いバイト生活

 

その後は「2011年11月に紹介者宅に転がり込む+アパートだけ見つけて契約」「翌12月に上京して転職活動」という状況に陥り、失業給付なしで日雇いバイト生活に苦しみました…。

 

失業保険は「1年以上の雇用保険支払い実績が必要」だったのですが、12ヶ月目(11ヶ月)で辞めていた為、その資格が無かったのです。

 

その結果「生活費用を稼ぐ為、日雇いバイトで働きながら転職活動」をしていたのですが、その頃が一番僕にとって“地獄の数ヶ月”になりました…。

 

日雇いバイトで食い繋いだ地獄の数ヶ月

  • 「真冬の11月〜12月」に「冷凍食品・おせち商品箱詰め×極寒の冷凍庫内にて防寒具で作業」
  • 深夜の運送センターで「遅いんだよ!さっさとトラックに積め!ボケ!」と怒号を飛ばされながら「衣料品の積み込み作業」
  • 「極寒の中で分譲住宅の道案内看板持ち」を行い「寒さ+トイレに行きたい気持ち」と8時間格闘

 

今思い出しても「2度とやりたくない!」と思うようなバイトの数々でしたが、人手の足りないスポット作業に呼ばれるのは、このような泥仕事ばかりでした…。

 

悔しかった100円チョコ事件

 

そして、日雇いバイトで凌いでいた時に、悔しかった100円チョコ事件は起きました。

 

具体的には、以下のような金銭面で絶望的な状況だった為「非常に悔しい出来事」を引き寄せてしまったのです…。

 

100円チョコ事件の極貧生活

  • 「日雇いバイトで月収10〜12万円」-「生活費は月15万円程度」=「毎月3〜5万円赤字&貯金残り15万円」で、東京生活が3ヶ月持たない危機感

 

その為「食事は100円ショップで買う」「所持品を売って金策に走る」などで、何とか生きていたのです。

 

そして、極寒の12月のバイト帰り道でその事件は起きました…。

 

その日は「極寒日に冷蔵庫内作業=とてもきつい仕事」だった為、帰りのコンビニで「ご褒美があって良い!」「今はガマン…」という心の葛藤が起こったのです。

 

 

そして「プチシリーズの100円チョコ」を買おうかどうか、延々とコンビニで悩み続けていたら、いつの間にか一時間経っていたのです…。

 

この時「100円程度の買い物に、一時間も真剣に悩み続けた事実」に愕然とし、惨めさ&悔しさで泣きながら帰った事は、今でも鮮明に覚えています…。

 

スラムダンク 泣くな

出典:スラムダンク

【25〜27歳】OA事務職体験談

大島諒一のプロフィール 26歳

 

諒

そして「日雇いバイト生活を1ヶ月半ほど続けた」後に入社した【25〜27歳】OA事務職体験談が始まりました。

 

僕の事務職体験談1年目

 

僕の事務職体験談1年目は、六本木一丁目にある「企業研修会社の営業&講師サポート事務」で始まりました。

 

※仕事は主に以下のようなもので、まさに「営業・講師のサポートそのもの」でした。

 

僕の事務職経験

  • 「研修で使用する本のデータ加工」
  • 「製本作業」
  • 「研修教室のセットアップ」 など

 

そして、当初は「室長&ベテランヤンキー姉さんが、毎日カリカリしながら仕事してる一室」に入ったのですが、ヤンキー姉さんの罵詈雑言が酷かったです。

 

※とはいえ、室長が「仕事しない+スグ無茶な案件を引き受ける=人柄は良いが仕事面でダメな人」だった為、ヤンキー姉さんが正しかったですが…。

 

 

そして業務は「完全な内勤作業」で、毎日がとにかくあっという間でした。

 

同僚 女性

も〜、また室長!こんなムリな案件を短納期で引き受けたんですか!最悪!

上司

ごめんなさい…。

諒

(怖っ!)

 

その後1年間で紆余曲折あり「先輩ヤンキー姉さんが他部署異動→僕に“リーダー格”としての白羽の矢が立つ→後輩が2人入ってきた」のです。

 

しかし、後輩と言っても「50代&20代後半の歳上+外注先企業のパートナー」が入ってきた為、とにかく「意見の食い違い&トラブル続き」だった記憶があります。

 

とは言え、その人達も半年後にはいなくなり、新たに「本当の後輩が1人」入ってきて、円滑に仕事出来るようになりました。

 

研修上級編で営業再転職を決意

 

そして「事務職を続けながら東京定着に慣れる毎日」と並行して、研修上級編で営業再転職を決意しました(こちらも受講料は変動)

 

ASKアカデミー・SEEKコース

ASKアカデミー・SEEKコース

出典:ASKアカデミー

 

そしてこの研修を通して、以下のコミットメントを決意したのです。

 

SEEKコースに自己投資した結果決めたコミットメント

  • 「自尊心」を取り戻し「強烈な影響力のある男」として生きるという契約

 

このように、研修参加した結果「自分の自尊心を取り戻さなければならない」という覚悟を得たのです。

 

東京リベンジャーズ リベンジ

出典:東京リベンジャーズ

 

そして「強烈な影響力のある男として生き、自尊心を取り戻す為にも“3ヶ月で辞めた営業職に再チャレンジ”しよう!」という覚悟も固まったのです。

 

僕の事務職体験談2年目

 

そして僕の事務職体験談2年目は、室長との格闘から幕を開けました。

 

基本的に、室長は別部屋で仕事していたのですが「作業部屋備品の配置が、全て室長の頭の中=逐一聞きに行くのが面倒+大きな作業ロス」だったのです。

 

 

そこで、本社営業担当者の訪問時に「部屋中を掃除して、誰もが分かる配置にしたいんですけど?」と直談判したのです。

 

諒

室長!作業室のレイアウトが汚いから、キレイにしましょうよ!

上司

そ、そうだね…。

 

その結果「確かに仕事効率が悪くなってるし、改善に着手しよう」という話になり、作業部屋の大掃除を行いました。

 

室長もバツが悪く「そこまでしなくても…。」と言っていましたが、作業場が汚い上に各資材の置き場が分かりにくかったので、徹底的にやりました。

 

おかげで「作業部屋も綺麗になった」「周りからも感謝された」ので、やって良かったな♪と思いましたから♪

 

 

このように、前向きに仕事ができる面白みを創造していったのですが、その後は「営業職再チャレンジ」を覚悟して、結局「2年で退職」しました。

 

【25〜26歳】東京で馴染む為に挑戦した事

大島諒一のプロフィール 東京

 

諒

またこの時期には、【25〜26歳】東京で馴染む為に挑戦した事が沢山あったので、合わせて参考にお伝えします。

 

タワマン内覧した事

 

「東京上京して一流のビジネスマンになる」という覚悟を持っていた為、色んなお金持ち環境を見に行きましたが、タワマン内覧した事はとくに心に残っています。

 

具体的には、ひとまず事務職で仕事が見つかった為「将来どこに住むか色々勉強したいので、内覧させてください」と、当時出来上がって3年程度の「大崎シティータワーズ」を見に行ったのです。

 

 

そして「一般的な会社員でも購入できるエリア(数千万円)」を見せたもらった後「折角ですので…」と言われて、当時たしか2億数千万円?の最上階も見せてもらったのです(現在は更に値上がりしてる模様)

 

大崎シティータワーズ

大崎シティータワーズ1

大崎シティータワーズ2

出典:FOLAND

 

家賃だけでも「月20万円〜50万円クラス=住むだけで自分の月給が全て消えていく世界」に圧倒されたことを、今でも強烈に覚えています…。

 

ベンツのお店に行った事

 

タワーマンション以外では、ベンツのお店に行った事が記憶に残っています。

 

具体的には、自己啓発でよく言われる「願望磨き」「夢リストに書いた夢を体験する」という事を実践する為、車に触れに行ったのです。

 

ベンツで実際に触れてきた車(SLK)

メルセデスベンツ品川

出典:メルセデスベンツ品川

ベンツ SLK

出典:Car watch

 

正直言って、大学時代に友人から「高級自動車ディーラーに入ったら、金持ってなさそうだと判断されて追い出された」という話を聞いていたので、内心ビビりながら入店しました。

 

実際「当時24歳のひよっ子が来店予約などせず直接行った」わけですが、さすがベンツと言うべきか?少し年上のお兄さん営業マンが出てきて、非常に丁寧な接客を受けました。

 

諒

今はまだ手が届かないんですけど、将来頑張って買う車の参考にしたくて(汗)

同僚

オープンカー希望って良いですね♪子供が出来ると乗れなくなるかもしれませんから、ぜひ心行くまで触れて行ってみてください♪

 

ちなみに、その後数年間「一言入ったセールスのハガキ」がその方から家に定期的に届いていたので「一流のお店の営業マンの心配りの質の高さ」に驚いたものです♪

 

グランドエクシブ浜名湖に泊まった事

 

話の流れが多少前後しますが、東京上京直前に「グランドエクシブ浜名湖に泊まった事」も願望磨きになりました。

 

当時はネットワークビジネスに参加して、僕のように「名古屋から東京に上京する人間が100人近くいた」為、TOPの大師匠が「頑張るご褒美と願望磨きに」と企画された宿泊旅行だったと記憶してます。

 

グランドエクシブ浜名湖

グランドエクシブ浜名湖

出典:グランドエクシブ浜名湖

 

生まれて初めて「セレブなホテル」に泊まったり「大師匠が泊まられた最上級スイート」に仲間達と感動したり、大広間で大宴会したりと、未知の体験が沢山ありました♪

 

諒

これが大理石って奴?うぉ!風呂が丸くて何人も入れるじゃん!バックトゥザフューチャーでビフが入ってた成功者の証みたいなや〜つ♪!

 

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 ビフ

出典:バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2

 

※ホテルは西洋風の真っ白い建物な上に、ど真ん中にプールがあったり、その向こうには併設ゴルフ場が広がっていたりで「ここは本当に日本?」と思ったものです(笑)

 

セレブタウンを歩き回った

 

東京上京して土地勘が欲しかったのもあり、セレブタウンを歩き回ったという記憶もあります。

 

そして同時に「自分の身なりを東京にアップデートしなければならない!」という悔しい思いをした瞬間でもあります。

 

 

具体的には上京後、服装も全部安物だった時に「六本木・東京ミッドタウンのブランド品ショップエリア」「表参道のラルフローレン」を歩いた時のことです。

 

東京ミッドタウン六本木+ラルフローレン表参道

東京ミッドタウン六本木

出典:東京ミッドタウン六本木

ラルフローレン表参道

出典:fashionsnap

 

その時、ユニクロやしまむらなど「ファストファッションで全身を着飾っている自分」が恥ずかしくなり、以下のような心の声がザワザワしたのです。

 

諒

うわ…、こんな安っぽい服装で歩いてる俺、恥ずかしい…。

諒

ジーンズも破れてヨレヨレだし、靴も安物セール品で買ったやつだし…

 

そのような悔しい経験をした後、師匠に相談した結果「アルマーニ・エクスチェンジなら、Tシャツとか手頃に買えるぜ?」とアドバイスを受けたのです。

 

 

そして、アドバイスに従ってお店訪問した結果「当時着ていた1,000円〜2,000円の安物Tシャツ」から「1着5,000円のアルマーニ・エクスチェンジTシャツ」に買い替えたのです。

 

諒

Tシャツが手頃って「1着5,000円」もするじゃん…。安物Tシャツで恥ずかしくなる訳だぜ…。

 

それから数年かけて「ある程度値段の高いブランド(アルマーニEX/鎌倉シャツ系/REGALの靴など)」に買い変えながら、自尊心を取り戻していきました。

 

僕が買い集めたブランド類

アルマーニエクスチェンジ

出典:アルマーニエクスチェンジ

REGAL

出典:REGAL

TUMI

出典:TUMI

鎌倉シャツ

出典:鎌倉シャツ

 

もちろん、正規店に行って買うと結構高額なのですが「海外ブランドは並行輸入品(日本で保証が受けられないなどの代わりに、値段が安い)」「アウトレット品」などを買い、納得いく身なりにしたのです。

 

財布をルイヴィトンに買い替えた

 

また「累計26万部以上を売り上げた“稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?”」という本に影響を受けて、財布をルイヴィトンに買い替えたのも印象深いです。

 

具体的には、この本には「税理士として、700名以上の経営者に関わってきたが、多くは長財布使用者であり、なおかつ“財布の値段×200倍が、その人の経済力”という公式が見えてきた」と書かれていました。

 

 

その為、著者の方がおすすめされていた「ルイヴィトン・ポルトフォイユブラザ・タイガ」を買いに、足をぶるぶる震わせながら新宿店に入って購入してきたのです。

 

財布の値段×200倍の法則

ルイヴィトン

出典:ルイヴィトン

  • 財布の値段×200倍=稼げる年収or将来稼げるようになる年収の上限
  • 僕の例1=「大学時代に買った皮のバイカーズウォレット約2万円」×200倍=年収400万円で頭打ち
  • 僕の例2=「ルイヴィトン・ボルトフォイユブラザ・タイガ約6万円後半」×200倍=年収1,200〜1,400万円程度を購入&願掛けして引き寄せ変更&達成

 

購入した時はマジでガクブルでしたが「一流のビジネスマンになる為に必要な財布は手に入れたぜ!」という「ブランド品の自尊心に影響を受けられる状況獲得」に成功したのです♪

 

ぐるっとパスや青春18きっぷで東京を巡った

 

ぐるっとパスや青春18きっぷで東京を巡った記憶も思い出深いです。

 

平日は仕事に出かけ、休日は「セミナー参加や読書で自己投資」していましたが、同時に関東近郊の色々な所へ「貧乏日帰り旅行」に出かけました。

 

ぐるっとパス

ぐるっとパス

出典:ぐるっとパス

\ぐるっとパスで行った場所(上野・東京国立博物館/吉祥寺近辺の邸宅)/

ぐるっとパス

東京近郊で巡った場所

\千葉・小湊鉄道/

小湊鉄道

\鎌倉/

鎌倉2

\横浜/

横浜

\お台場/

お台場

 

このように、東京や関東には刺激的で楽しいスポットも沢山あった為、退屈しない時間を過ごせました♪

 

【27歳】広告系会社の新規開拓営業体験談

大島諒一のプロフィール 27歳

 

諒

そして、研修会社のOA事務から転職して【27歳】広告系会社の新規開拓営業体験談がスタートしました。

 

※僕は「営業マン3ヶ月退職」のトラウマを克服すべく「大学のゼミ・先生向けビジネス雑誌の新規&ルート営業」に転職

 

ちなみにこの頃辺りまで「自分の顔写真」が全然残ってないんですが「22歳で3ヶ月離職→事務職26歳までの自分」がよっぽど嫌いだったんでしょうね…(なお、当時の顔・雰囲気は以下の感じ)

 

\新規開拓営業に転職した27歳頃/

27歳頃

入社1〜3ヶ月はテレアポに葛藤

 

入社1〜3ヶ月はテレアポに葛藤した記憶が、今でも強く印象に残っています。

 

当時は、中途転職した結果「営業課内で僕だけほぼ新人」だった為「毎日一定の時間帯にテレアポして営業慣れするルーティーン」になっていました。

 

しかし、僕はそもそも「自動車営業を3ヶ月で辞めたトラウマを治すリベンジ転職」だった為、過去の恐怖を思い出し、ある時「思わず泣き出してしまった」のです。

 

テレアポに恐怖を感じていた原因

  • 「怒号・叱責」が飛んでくる恐怖
  • 「断られること」に慣れていない
  • 自分&商品知識に「自信がない」

 

しかも、当時は「部長が後ろの席に座っていた」為、テレアポをテンポ良くやっていないと、背中越しに叱られたのです…。

 

出典:刃牙

 

その為「テレアポなんて、何のためにやってるんだろう…。」「本当に受注できるんだろうか…。」という不安と闘い続けていた事を覚えています。

 

初めてテレアポ成功した時

 

そして、初めてテレアポ成功した時は、訪問先で涙を流しました。

 

当時の僕は「大学の先生&ゼミ生向けのビジネス雑誌営業」をしており、数十件断られた後、ようやくアポを獲得できたのです。

 

 

その時は、たまたま大学が春休み期間だった為「教授棟にいるし、時間はあるから、とりあえず来て良いよ♪」と快くOKを戴けたのです。

 

そして、僕としては「苦痛続きの毎日から、ようやく前進できた」為、訪問時に必要提案を話した後、最後の10分ほどで思わず泣き出してしまいました…。

 

 

優しい先生だった為、ティッシュを戴きながら「よく分からないけど、頑張ってるんだね…。」と諭して貰った上、教授棟にパンフを配るアシストもして戴きました。

 

結果的に、そこから受注は得られませんでしたが「テレアポ成功体験の第一歩」を確立でき、少し前進した事が嬉しかったです♪

 

初めて受注が決まった時

 

初めて受注が決まった時は、嬉しくてガッツポーズしたのを覚えています。

 

テレアポもポツポツ獲得出来るようになった中、ある先生に「ゼミ生が買う決断を促す為、購入メリットのプレゼンをして欲しい」と頼まれたのです。

 

 

そして「ゼミは観光系学部」だった為、売る予定のビジネス誌から「観光系情報を引用」しながら、一生懸命プレゼン資料を作成して提案しました。

 

その後、プレゼン終了後に別室で、以下のような「感謝の言葉」を伝えられた事を、今でも強く覚えています。

 

同僚

友人の中にも「ゼミで何か売らせて欲しい」と頼んでくる人がいるけど、今までは一切断ってました。でも今回「大島さんにプレゼンをお願いして本当に良かった♪」

諒

ありがとうございます♪(嬉)

 

このような感謝の言葉を戴けたことは、本当に嬉しかったです♪

 

カイジ 勝利

出典:カイジ

 

そして結果的に、そのゼミからは未受注でしたが「先生経由で紹介戴いた別の先生から受注が入り、初めてテレアポ成功できた」のです。

 

営業能力不足の為半年でクビ

 

しかし、一生懸命営業に取り組みましたが、最終的には営業能力不足の為半年でクビとなりました。

 

部長から「残念ながらクビが決定しました」と宣告された後は「こんなに頑張ったのにダメだったか…。」と泣き出した記憶があります…。

 

しかし「上場企業で働く営業マンの仕事レベル」に喰らい付けた結果、その後「通信IT系の営業マンとして転職成功する足掛かり」にできたのです♪

 

中々転職できず親にお金を貰う

 

とはいえ「辛く苦しい“営業生活を続ける覚悟”を固める」のに時間がかかり、中々転職できず親にお金を貰うという、苦い体験もしました。

 

失業保険を貰った経験があれば分かりますが「働かずにお金を貰える=転職活動のやる気が起きずに、ダラダラしてしまう」のです…。

 

 

例えば、20代なら「3ヶ月間は前職給与の6割(残業代込みの月給)」が貰える為、月収25万円なら15万円ほど失業保険を貰えます。

 

もちろん「多少は貯金がなければやっていけない」「失業保険受給中はアルバイト禁止」の為、余裕がないケースも多いです。

 

しかし「人間は甘やかされるとダラダラしてしまう」為、僕も失業保険受給中は真剣に転職活動を行わず、結局「貯金が尽きた」んですよね…。

 

 

そして「もう生活資金がない…」という絶望的状況に陥り、お盆の実家帰省時、イオンのフードコートで泣きながら「お金が無くて困ってる…」と親に伝えました。

 

お金に困った末路

  • クビになったショックの後「失業保険期間中」は仕事を真剣に探さなかった
  • 「ラスト1ヶ月」で探したけど決まらない
  • 「親に泣きついた」

 

そして「20万円のサポート」を貰った後、急いで転職先を探した結果「通信IT系ルート営業の契約社員」として、転職決定したのです。

 

【27〜28歳】老舗の通信IT系営業体験談

大島諒一のプロフィール 27歳

 

諒

そして、親に泣きついて支援をもらった後【27〜28歳】老舗の通信IT系営業体験談が始まりました。

 

※また、この頃の僕の顔や雰囲気は半年〜1年で以下のように変わっていますが「自動車ディーラー3ヶ月離職トラウマ」を乗り越え、だいぶ良い顔つきに変化している事が分かります♪

 

\27歳の終わり頃/

27歳の終わり頃

僕のIT系営業体験談1年目

 

僕のIT系営業体験談1年目で印象深いのは「無能なまま課長になったババア」の記憶です。

 

そもそも、その会社は「早稲田・上智・慶應などの一流大学卒業生が、ほぼ終身雇用でじっくり学んで働く環境」だったので、既卒で入った僕には修羅場でした。

 

覚える必要があったジャンル

  • 新しく生まれてきたクラウドサービス(Office365/AWS)などの知識
  • インターネット固定回線(光回線/ADSLなど)の知識
  • モバイル回線(格安SIM/料金プラン)の知識 など

 

そのように膨大な知識が必要だったのです。

 

しかし、周りは「通信の知識を知っていて、しかも業務が出来て当たり前」という態度で迫ってきました。

 

と言っても僕は既卒の新人だった為、毎日深夜まで勉強しても能力が間に合っていませんでした。(会社の残業は月20時間程度だが、自宅学習の毎日)

 

 

そして、一生懸命勉強していたけれど、結局数ヶ月後に「言ってることが分からない」という顔をしてしまった時、女上司から強い非難とお叱りを受けたのです!

 

女上司

あなたにとって何が分からないか?それがもう私には分からないわ!!

諒

(怒!)

 

これを言われた時は流石に僕もイラッとして「こっちも一生懸命にやっとるんじゃ!」と思い、思わずトイレに駆け込み壁を飛び蹴りしてました。

 

※穴を開けてしまいましたが、そっと逃げました(翌日シールが貼ってあり直っていたので、良くあることなんだなと安心しました)

 

HUNTER×HUNTER ゴンさん

出典:HUNTER×HUNTER

 

そもそも今振り返れば、僕にとってこの仕事は「苦手な数式・公式を用いた知識を覚える」という一番「自分に合っていない仕事環境」でした。

 

※数学は200点中0点を取るほど、僕は公式や理屈が苦手

 

 

さらに、万年目標未達という「無能女課長」の下という最悪の状況で働いていたので、ミスが多かった上メンタルも非常にやられたのです。

 

※ちなみにその後、見かねた別の課長が僕を引っ張ってくださり「落ち着いて仕事できるようになった」のは、感謝しかありませんでした

 

上司

大変やったな♪大島ちゃん♪

諒

助けていただき、ありがとうございます♪

僕のIT系営業体験談2年目

 

そんな1年目が終わった頃、僕のIT系営業体験談2年目から地獄が始まりました。

 

その企業は中途入社の契約社員が即辞めていく環境だったのですが、僕は踏ん張って継続していたのです(2年目の頃には、後輩は10人ほど辞めました)

 

 

そして、1年目の途中から「仕事のできるかっこいいベテラン課長チーム」で働いていたのですが、課長が「役職定年と共に退職」を選ばれた為、2年目途中から部署移動となったのです。

 

その結果、そんなタフさを買われたのか?「組織内でも最難関レベルの商材を扱う部署」に配属されました。

 

 

しかし、残念ながらそこは「定年退職前の人ばかりが集まる、平均年齢50歳近い墓場部署」だったのです…。

 

しかも定年退職前ジジイは、面倒なことを任されたくない為、仕事をドンドン若手に振ってきました。

 

ちなみに、会社としては「僕に定年退職組の能力を吸収して欲しい魂胆」だったと思いますが、あまりのストレスに腹が立った為、結局「部署移動した数ヶ月後」に辞めました。

 

 

そもそも、僕は契約社員での入社でしたが「ボーナスなし」「昇給確約なし」など、正社員組より明らかに待遇が悪かったのです。

 

つまり「“年功序列で働かない老害クズ正社員”の穴埋めに、若手契約社員を入社させて、人件費をケチりながら働かせる」という構図だったわけですね…。

 

上司

じゃあ大島くん、後を頼むね…。

諒

はい…。(高齢正社員が働かない、高級取りなのに仕事ができない…。年功序列は負の温床やな…。F●CK!)

 

※そして辞める時に、若手正社員組の数人から「辞めるなんて羨ましいなぁ…。」と言われましたから、その会社で腐らなくて本当に良かったと思います♪

 

副業ブログ独立を目指すが失敗

 

ちなみに「通信IT系企業」を辞めた後、副業ブログ独立を目指すが失敗という結末となりました。

 

具体的には「観光ブログでHPを1年ほど勉強していた為、月3万円×1年=約36万円のブログ高額塾に入会し、そのコンサルによるブログ収益化に賭ける」という覚悟で退職したのです。

 

※この時もネットワークビジネスは継続していましたが、基本的に「ビジネスを学ぶスタンスで利益0」であり、セミナー参加のみでした

 

呪術廻戦 労働はクソ

出典:呪術廻戦

 

しかし「最短3ヶ月で収益化!」という謳い文句だったのに「半年以上ブログ塾参加でも成果0&貯金も底を尽きかけた→講師とケンカ→ブログ独立を諦めた」のです。

 

※ブログ高額塾の36万円は、ほぼコンサルティング代だったのですが、結局ケンカした後「半年以上コンサルを受けなかった」為、18万円は無駄になりました…。

 

【29歳】IT系営業から天職へ

大島諒一のプロフィール 29歳

 

諒

そして「副業ブログの起業化に失敗」した後【29歳】IT系営業から天職へシフト成功しました。

 

※ちなみに、この頃の僕の顔や雰囲気は以下のような感じで、営業職を3年程度経験して「ある程度自尊心を取り戻したオーラや顔付き」になっていた事がわかります(笑)

 

\28〜29歳頃/

28〜29歳頃

通信IT系グループ会社へ再転職

 

「半年分の高額塾負債(18万)」「貯金が残り少ない」という状態で、他に生き方を変える術も無かった為、通信IT系グループ会社へ再転職を果たしました。

 

しかし「とにかく、お金がないのでどこでも良い!」という依頼だった為「事前の情報と実態が異なる“地獄のような新規開拓営業部隊”」を紹介されてしまったのです…。

 

聞いた話と実態が全然違ったケース

  • 「入社前の事前情報」=既に「NTT系列で固定通信回線をご利用している企業向け」のwi-fiルーター提案営業(既存顧客向けのルート新商品案内)
  • 「入社後の実態」=「渋谷の飲食店を食べログからリストアップした情報」で、ひたすらローラー作戦(金の●、漫画喫茶マンボ●など、wi-fi設置済店もお構いなしの新規開拓営業)

 

この組織は「東京オリンピックに向けてwi-fiルーターを売り込んでみる」という実験営業部隊だったので、環境が定まっておらずムチャクチャでした…。

 

その為、あまりのブラック企業にストレスがピークとなり「親の紹介で正社員入社が決まった為、地元名古屋に帰ります」と伝えたのです。

 

ジョジョの奇妙な冒険 嘘をついてる味

出典:ジョジョの奇妙な冒険

 

そもそも、派遣担当営業マンも「あまり職場環境が良くない」と分かっていたようで「分かりました。では契約期間を短くしますね」と快く引き受けてくれました。

 

諒

地元・名古屋で正社員転職が決まったので、辞めさせていただきます(嘘だけど…。)

同僚

そうなんですね?分かりました。

 

正直「辞めてしまえば二度と会うことは無くなった」ので、ぶっちゃけ嘘でも辞めることができました。

 

占いでWEBライター転職を決意

 

そして、30歳を間近に控え「東京+営業職継続」に嫌気が差した結果、占いでWEBライター転職を決意という引き寄せを経験しました。

 

元々、上京目的である「一流のビジネスマン=上場企業の営業経験3年で達成した」と思った為、もう一つの「月収100万円」は諦めて、名古屋に帰ろうとしていたのです。

 

※ネットワークビジネスも6年ほど続けましたが「“一流のビジネスマン”になる為の勉強場所」と思っていた為、それも辞めるつもりでいました(成果0でしたし…)

 

 

しかし、名古屋に帰ると師匠に報告した結果、兄弟子経由で「帰る前に、スピリチュアル系の占い師を紹介するから、最後に相談したら?」と言われ、それに従ったのです。

 

そして「帰る前に心の整理をしておくか…。」と思い訪問した結果、以下のようなアドバイスを戴いたのです。

 

スピリチュアル占いの相談結果

\東京で働き続けるべきか?地元に帰って転職すべきか?/

  • 実家はお父さんの影響力が強すぎる為「仮に帰ったとしても大島さんは好きな仕事ができない」「成長ができなくなる」「お父さんが結果的に帰ってくる選択は悲しむ」「お父さんに及ばず死ぬ」という結果を生みます
  • また、今日から2年程のキーワードで「復興」というワードにピントが合います。「東京にいるべき点」はここにもある。名古屋に帰るとそれができないので「なんとしても残るべき」

\このまま通信系IT営業を続けるべきか?仕事を楽しいと思えない/

  • 「前世は、新聞がない時代に情報誌を作っていた人」「過去生は、皆に料理を振舞って喜ばせていたイタリアorフランスの料理人」
  • 営業の仕事でご存知のように「好きじゃない仕事は続かないし、自分がやりたい事をやれてるのが幸せ」であり「人に真の愛で関われます」
  • また「本」というキーワードにピントが合うので、情報収集力・本を読む・書くという能力を活かせる「本に関わる仕事」探しをおすすめします。その能力は「才能と呼べるレベル」であり、是非仕事で貢献し役立てるべきです

\副業・起業を教わっている師匠との関係性は?/

  • 過去生で年の離れた兄弟だったが、何かの拍子に突然離れたシーンが見えました。その為「魂同士で何らかの繋がりはあるようです」

\総評/

  • 復興が完了すれば「大阪でも沖縄でもどこに住んでも良くなる」為、とにかく2年間は「東京」「本にまつわる仕事」で復興に尽力してください!

 

このように「自分が全く想定していなかった人生ルート」を提示いただき「東京で2年間“本にまつわる仕事”を見つけ、復興を実践する」という道筋が見えたのです♪

 

なお、このアドバイスを戴いてから急いで転職先を探し、2週間で「派遣社員のWEBライター」として転職先を勝ち取りました♪(2年間作っていた観光ブログが成果物となった)

 

※ぶっちゃけ、すでに1月末で退職決定していた中、1月中旬にこのアドバイスを貰った為、なりふり構わず一心不乱に転職先を探しました(苦笑)

 

東京リベンジャーズ 譲れねぇモン

出典:東京リベンジャーズ

【30〜32歳】WEBライター体験談

大島諒一のプロフィール 30歳

 

諒

そして「工場のライン作業→事務職→営業職」の先にたどり着いた【30〜32歳】WEBライター体験談が始まりました。

 

※ちなみに、この頃は「営業マンの雰囲気があるWEBライター」といった感じで、良くも悪くもあまりクリエイターっぽくないですね(笑)

 

\30歳頃/

30歳頃

医療系会社でライター初挑戦

 

僕は30歳になってから、医療系会社でライター初挑戦しました。

 

実は「独学で2年ほど個人ブログを制作」していましたが、プロとして「お金をもらって記事を書く」のは初体験だったのです。

 

 

そして、実際に入社してみると「色々なダメ出し・添削」を受けてちょっと鬱(うつ)になったりしました。

 

営業はキャリア数年だった為「相応の自負」はあったものの「WEBライターとしては独学我流なだけで、ほぼ新人同然」だったので、かなり手痛い経験をしたんですよね…。

 

 

しかも「ヒステリー気味の厄介な年下女上司」だった為「1ヶ月に1回は口論になったり喧嘩になった」のも、鬱っぽくなった原因です。

 

同僚 女性

記事の質にムラがあり、良い時は感動するのに悪い時は手直しが必要なくらい悪い

諒

コッチは毎日一生懸命やっとるんじゃボケ!ムラなんか気にしとれんわ!アホか!

 

同僚 女性

頻繁にトイレに行って席を離れているけれど、サボっているんですか?

諒

生理現象じゃボケ!そもそも席からトイレが遠すぎるんじゃ!改善を求む!

 

同僚 女性

いつもギリギリに出社してますけど、もっと早く来ないとクビにしますよ?

諒

いやいや、遅刻ワーストに入ってるあんたが言うことじゃないでしょ?アホですか?

 

このような「添削攻めや喧嘩トラブル」が何回もあり、結局半年で自主退職することになりました。

 

とはいえ「本音を“正直”に伝える」という意味では、WEBライターという仕事に必要な能力だった為「神様からの天啓だった」と今では思っており、感謝しています♪

 

NARUTO 忍道

出典:NARUTO

天職不安を感じて電話占い利用

 

このように「幸先の良くない転職スタート」だった為、天職不安を感じて電話占い利用しました。

 

具体的には「電話占いヴェルニ・桐花先生に“仕事・師匠との関係・恋愛相談”」をさせて戴きました。

 

電話占いヴェルニ・桐花先生相談

桐花先生

\メール占い鑑定結果/

  • 「師匠との人間関係」=やはり前世から兄弟の縁があった。そして「師匠=営業」「僕=物書き」の各得意分野にて「お互いを補い合う良きパートナーになる」と視える
  • 「恋愛」=今までは「仕事の基盤を固める為に一生懸命」で、無意識に恋愛を避けていたが「晩婚型でタイミングが来れば良い相手に恵まれる
  • 「金運」=仕事をWEBライターに転換した事で「お金は後から付いてくる」&「金運も上昇気流に乗っていく」

桐花 メール鑑定結果

 

まず、恋愛相談で驚いたのは「良き仲間、良き相談相手に恵まれていたので、今は不要なのだと思いますよ」という鑑定結果。

 

なぜなら、相談文に師匠のことは書きましたが、一言も「身の回りで相談できる仲間・相談者」の事を書いていなかった為、ズバリ言い当てられてビビったからです!

 

 

さらに、仕事面に関しても「物書きの才能がある」「前向きなイメージで上昇気流に乗っていける」「お金は後から付いてくる」と言われて、安心したことも大きかったです。

 

※営業職からWEBライターに転職した結果「派遣社員にシフト」「年収が数十万円減」という状況だった為、このようなアドバイスを戴けてホッとしました(笑)

 

なお、桐花先生情報は以下のリンク先にて詳しく紹介している為、合わせて参考に使って下さい♪

 

転職系ライターで経験が花開く

 

そして、医療系WEBライター退職後、スグに就業先が決まったのですが、転職系ライターで経験が花開くという「価値ある体験」をしました。

 

正直言って、この時の会社は「ずっと勤めてても良い♪」と思ったくらい、自分に合った就業環境でした。

 

各企業での就業感覚の違い

  • 「医療系サイトの会社」=「人材は使い捨て」「成果を上げられない奴はゴミ」「プライベートは繋がり一切なし」
  • 「転職系サイトの会社」=「正規・非正規関係なく人財は財産」「皆で仲良く楽しく一生懸命で休日も一緒」

 

このように「とても働きやすい会社に移ることができた」為、居心地良く経験を積めました♪

 

ドラゴンボール 修行

出典:ドラゴンボール

 

しかも、僕は人より多く「転職経験」「職種転換経験」を持っていた為、その経験を基にした記事作成が「自分にとても合っていた」のです。

 

その為、その転職サイト会社で「読み手に刺さる記事」「人の役に立つ記事」がどのようなものか?の手応えを感じることができました。

 

 

さらに、この時期「所属していたネットワークビジネス組織の大改編」が契機となり、7年所属したチームを辞めました。

 

その結果「会社員×アフィリエイトブログ構築の副業×ネットワークビジネス=三足の草鞋」を卒業し「アフィリエイトサイト副業で独立」という引き寄せになったのです。

 

【32〜35歳】起業への独立体験談

大島諒一のプロフィール 35歳

 

諒

そして、東京でWEBライターとして2年間経験を積んだ後に【32〜35歳】起業への独立体験談へと移っていきます。

 

※ちなみにこの頃は、以下のような顔や雰囲気になっており「ある意味でクリエイターっぽい自分になった」と感じるのはこの辺りからです(笑)

 

\32歳頃/

32歳頃

復興後以降の未来相談

 

「32歳までWEBライター勤務(派遣社員)」を達成した後、今後をどうするか悩み、復興後以降の未来相談経験もしました。

 

具体的には32歳で、当時の僕は以下のような悩みを抱えていました。

 

32歳の僕の悩み

  • WEBライターとして働きながら、ブログ副業で「月3万円程度」は稼げるようになり「ネット経由でどこに居ても働ける」という未来が現実化した
  • その為、今後は「東京で働き続けるか?」「実家に帰るか?」について悩んでいた

 

このように、2年前に貰ったアドバイスを達成した後、32歳で「どんなアクションを取れば良いか?」が分からなくなった為、再び電話占いを利用したのです。

 

るろうに剣心 廃人

出典:るろうに剣心

 

そして、この時はまず「電話占いカリス・よすが先生」に「今後の方向性」に関してアドバイスをいただきました。

 

電話占いカリス・よすが先生相談体験談

よすが先生

提供元:ティファレト

諒

今後の未来をより明るくしていく上で、参考になるアドバイスを頂けないでしょうか?

よすが先生 提供元:ティファレトよすが先生 提供元:ティファレト

まずあなたはコツコツ物事に取り組むのが得意なので、それを生かせる状況を作るのがベターです。その為、心が落ち着く実家に帰るというのは、良い選択肢だと感じます。

よすが先生 提供元:ティファレトよすが先生 提供元:ティファレト

さらに今回は“運命の輪”のカードが出ており、これから転換点の領域に入っていきますよ。安心してください。

 

このように「コツコツ取り組める環境・状況を求めるべき」「運命の輪のカードが出ており、これから転換点の領域に入っていく」というアドバイスを戴けました。

 

その為、実家の馴染む環境で「運命の輪の転換点として、安心できる実家で、独立基盤を固める」という決意を強くできたのです♪

 

なお、カリス情報は以下のリンク先にて詳しく紹介している為、合わせて参考に使って下さい♪

 

同じ悩みを別占い師にメール相談

 

とは言え「セカンドオピニオン(第二意見)」が欲しかった為、同じ悩みを別占い師にメール相談しました。

 

具体的には「電話占いウラナ・Ange(あんじゅ)先生」に、よすが先生と同様の相談をしたのです。

 

そして、そのアドバイス結果が以下の通り。

 

電話占いウラナ・Ange先生相談体験談

Ange1

\相談結果/

  • 「今後の居場所」=ルームシェア解消&一人暮らしに戻るどころか「一度実家に戻りリフレッシュすべき
  • 「未来」=“運命の輪”のカードが出ており「やりたい気持ちを湧かす時間」を作るべき

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このように、西洋占星術&タロットカードで「実家に帰ってホッとできる時間を取り戻すべき」「努力と才能の人です」「運命の輪のカードが出ています」と、アドバイスを戴きました。

 

しかも、Ange先生に関しては「WEBライターに転職してから、自分はフリーランス(個人事業主)だ!」と思って働いていた為、一言もお伝えしていない確信を突かれてビックリしました(驚)

 

その上「カリス・よすが先生と全く同じカード&全く同じアドバイス」を戴いた為「これは決まりだな(笑)」と、素直に受け入れられたのです♪

 

 

なお、Ange先生情報は以下のリンク先にて詳しく紹介している為、合わせて参考に使って下さい♪

 

実家に帰ってトラウマと格闘

 

そして、実家に帰ってトラウマと格闘の2年半が始まりました。

 

なぜなら、僕の人生のトラブル原因は「ほとんどが“歪んだ親子関係”から発生していた」からです。

 

父親との歪んだ親子関係から発生した問題

  • 「正社員入社してもトラブルで辞めるor派遣社員/契約社員」など「頑張ってないとクビになる働き方」しか無意識に選べなかった
  • 男性上司に一切意見ができず「いつも言われるまま従う」しかなかった
  • お金はセミナー・研修にばかり使い(総額1,200万円)「自分を癒やす&労う使い方」「貯金」が全くできなかった(強烈な自己否定)

母親との歪んだ親子関係から発生した問題

  • 「女性の先輩or上司とケンカになる&クビになる」などのトラブルが何回も発生した
  • 「恋人を作れてもスグ別れる」「最大で半年しか続かない」など、6回も恋愛失敗続きだった

 

そして「運命の輪」を転換する為に、自分の人生を不幸にし続けた「歪な親子関係との直接対決」をスタートしたのです。

 

刃牙 親子喧嘩

出典:刃牙

【35〜36歳】右肩下がり人生浄化体験談

大島諒一のプロフィール 36歳

 

諒

このような「生きる事自体が辛い原因引き寄せ」を殺した【35〜36歳】右肩下がり人生浄化体験談が始まりました。

 

※ちなみにこの頃は、以下のような顔や雰囲気になっており「黒い服を意図的に着て、自分の意思を貫く反抗期オーラ」を感じるのはこの辺りからです(笑)

 

\35歳頃/

35歳頃

浄化が必要だったトラウマ

 

そして、具体的な浄化が必要だったトラウマについて解説していきます。

 

歪んだ親子関係トラウマ(父親)

 

まず歪んだ親子関係トラウマ(父親)が「12年間の貧乏生活を引き寄せ続けた原因=手首を切って自殺しようとした17歳のトラウマ」です。

 

当時の僕は「高校3年生の受験生」であり、高校も通学最低限にして「毎日昼夜逆転&イライラしながら受験勉強に没頭」していました。

 

 

しかし「受験経験者は誰もいない環境(高卒の父・母)」で、誰にも相談できないストレスが頂点に達し、隣部屋の妹2人の談笑にイラッとして「おい、静かにしろよ!」と部屋の扉を蹴ったのです。

 

その時は運悪く「休日+両親共に家にいた」為、親父が僕の部屋に入ってきて「お前が全部悪い!」というスタンスで、一方的に怒鳴ってきたのです!

 

その出来事に対して「なんだよ?お前が大学行けって言うから頑張ってるのに、何でこちらの言い分も聞かず、一方的に叱るだけなんだ?」と、再びイラッとしたのです。

 

 

そして、親父が出て行った後も怒りがガマンできず「自分の部屋の障子をぶっ壊した」結果、大きな破壊音がしてしまいました。

 

その後、また親父が怒鳴り込んできた上「今度はベッドの上で僕を羽交い締め」にしてこう言ったのです。

 

親父が言った一言

  • 「お前は俺の息子だろう!!!!」一体何やってるんだ!!!
  • 俺の内面→「クソ親父が大学行け!」って言うから頑張ってるのに、ガミガミうるさいわ、こちらの言い分は聞かないわ、一言の労いもないわ。マジで死ねよクズ親父…。

 

そんなドス黒い感情が湧いたのですが、当時「一切父親への反論が出来ないように自尊心を抑圧されていた」為、一方的な扱いに逆らえず、悔しくてベッドに泣き崩れたのです。

 

そして親父が出て行った後、釣りで使っていた「冒険ナイフ」を机から取り出して、手首に当てて自殺しようと試みたのです…。

 

呪術廻戦 絶望

出典:呪術廻戦

 

結局、小一時間ほど手首とナイフを見続けながら、寸前の所で踏み止まれましたが、その時から「イヤな事があったら自分を責める=自殺衝動の負の習慣」が染み付いてしまったのです。

 

必然的に「他人に影響を与えると“諒一ぃぃ!!”と、親父が無遠慮に入ってきて怒鳴ってくるイメージ」がどんどん強化されていきました…。

 

その結果「新規開拓営業でド叱られる毎日」「上司とケンカして何回もクビになる」「思い通りの現実が作れず、貧乏な不安定生活」が13年も続いたのです。

 

歪んだ親子関係トラウマ(母親)

 

そして「女上司とのトラブル」「恋人と長続きしない」という原因を生んだ歪んだ親子関係トラウマ(母親)も浄化しました。

 

僕は長い間「恋愛&社会人経験」の中で、何度も「高圧的な末っ子女性」との付き合いに苦しめられていた時期があります。

 

 

その為、当時は「なんで似たような女性を引き寄せるんだろう…」と悩んでいました。

 

女上司

あんた!やっといてって言った仕事にミスがあったわよ!

諒

すいません…。すぐ直します…。

 

しかし、それを解決したきっかけは、占いで「あなたは人生を復興する必要があります」と言われたアドバイス通りに生きた2年間でした。

 

それから「復興!復興♪」と頑張っていた時「高圧的な末っ子女性」と付き合ったり、上司を引き寄せて苦しんだ結果、トラウマ原因にある瞬間辿り着いたのです。

 

 

具体的には「4人姉妹の末っ子であるお袋に反抗できず、抑圧されたトラウマ」が根本原因だと「過去の記憶のフラッシュバックで思い出した」のです。

 

※正確には「僕が意見を言った結果、お袋に青いビニールテープで手足を縛られて放置されたトラウマ」が「末っ子女性に高圧的に抑圧される引き寄せ」の原因となりました

 

 

その結果「反抗したいけどできない女性」が目の前に現れ続ける+似たような現実を引き寄せ続けていたわけですね…。

 

遊戯王 城之内死す

出典:遊戯王

 

しかし、後ほど紹介するトラウマ浄化法なども活用して「高圧的な末っ子系女性」にも意見表明できるようになり、女性関係が改善されました。

 

女上司

あんた!やっといてって言った仕事にミスがあったわよ!

諒

いや、それ俺がやったやつじゃないですよ?ちゃんと確認してください!

女上司

あ…、そうなの…。ごめんなさい…。

歪んだ親子関係トラウマ(両親)

 

そして「派遣などの不安定状況」「金銭的支援を何度も受け取る現実」の原因となったのが、歪んだ親子関係トラウマ(両親)の記憶です。

 

具体的には、小学生の頃の記憶だと思いますが「自分に正当性があるのに親父に怒られまくって、思わず家出した記憶(トラウマ)」が原因だったのです。

 

 

そもそも、夜中に小学生が家出すると言っても「せいぜい家から数百メートル程度離れる事しかできなかった」為、数十分近所を歩き回った後、泣きながら家に帰ったのです。

 

しかし、その結果「両親を心配させて仕返しできた!」「ハグされて愛の実感を得た!」事から、無意識に「腹が立ったら家出で仕返し!というループトラウマ」を形成したのです。

 

AIR ゴール

出典:AIR

 

その為、実家に帰ってからも同様の現象を引き起こし「お前らの育て方に問題があったから!俺はこんなに苦しんでるんだぞ!」という復讐を、無意識に続けてしまったのです…。

 

実家で表面化した現実問題

  • 貯金約50万円と共に実家帰省したが「アフィリエイト収入が月3万円を超えない」まま「貯金が底を突いた」
  • お金が底をついた所で「コロナ10万円給付」を受け取り、多少生き延びたが「また底を突いた」
  • 「親から20万円の支援を受けた」ものの、再びずるずる貯金が減っていって「また底を突いた」
  • メルカリで売ったりしながら「身の回りを徹底的に断捨離してお金を作った」が「また底を突いた」

 

このような「お金が底をついたらどこかから補充される」という繰り返しが2〜3年続いた結果「死ぬ寸前の人生しか生きられない、負の引き寄せが邪魔だ!」という確信を得たのです!

 

その結果、ある意味開き直って「父親へのトラウマ浄化」「母親へのトラウマ浄化」「両親へのリベンジ」を続けたのです。

 

親に対して何度もキレる

 

このように、僕のトラウマは「父親・母親に抑圧される状況」から発生していた為、親に対して何度もキレるというチャレンジを繰り返しました。

 

まず、母との歪んだ親子関係に対しては「自分の本音を伝える→母親が否定してくる→父親を呼ぶ(ビニールテープで縛るトラウマ再現)」という繰り返しが何度も起こりました。

 

同様に、父との歪んだ親子関係に対しても「自分の本音を伝える→父親が否定してくる→僕がまだ勝てず押し黙る(ナイフで自殺しそうになったトラウマ再現)」という繰り返しが起こりました。

 

刃牙 親子喧嘩

出典:刃牙

 

その結果「必ず“親が正しい”という結論に強制される+脅される為、その度に正論で対抗する&時には脅し返す」という行動で対抗したのです。

 

脅され脅し返しのチャレンジ経験

  • ファミレスで話していた時に父と口論になり、父は机を全力で叩いて「お前が悪い!」という結論で無理やり集結させられた
  • 母親と口論になった時に「そんなこと言うなら警察呼ぶわよ!」と脅された
  • 父が僕の意見を気に食わないと思った時は「大声で咳き込み始める」「突然おならをする」「机を叩く」などで萎縮させられた

 

このように「僕を萎縮させて“お前が間違っている”という結論を強制させるという理不尽な現実」に何度も直面しながら、チャレンジを続けたのです。

 

イヤな事はキッパリ断る練習

 

ちなみに親に自分の意見をしっかり伝える為、イヤな事はキッパリ断る練習をスタートしました。

 

具体的には「TVやYouTubeなどを見ている時にツッコミやイヤミを入れる」という練習を続けたのです。

 

TVなどへのツッコミやイヤミ例

  • クロちゃん本当に気持ち悪いなぁ…。
  • こんな犯罪者、死刑にすれば良いのに…。
  • ギャル系芸能人ってノリばっかりでうるさいなぁ…。

 

こういったネガティブに感じた気持ちも、自然に吐き出すクセを付けていったわけです。

 

諒

今の言葉不愉快なんだけど?おかしいでしょ?

 

このように「イヤな事はイヤと言えるようになる訓練」を継続し続けたのです。

 

筋トレして丹田を鍛える

 

筋トレして丹田を鍛えることも継続しました。

 

丹田とは「おへその拳一つほど下」にある、人のエネルギーの源になっている場所であり、これが「人対人のエネルギーバランスの上下関係」を生み出します。

 

 

殴り合いでは「格闘技センスや筋力で勝敗が決まる」のですが、言い合いなど「目に見えない勝敗は、丹田のエネルギー量で決まる」のです。

 

その為、とくに「腹筋&背筋」を鍛える事で、声がよく出るだけでなく「エネルギーを相手にぶつける力」をアップできました。

 

他にも「最悪、高齢者の親父やお袋が襲ってきても、殴って制圧できる」という自信にもなったのです。

 

撃退成功イメージを刷り込む

 

撃退成功イメージを刷り込むことも徹底しました。

 

具体的には「部下や下の存在が、上司や上の存在を倒す作品鑑賞」を実践したのです。

 

 

そして、撃退成功イメージを刷り込む上で、僕が参考にしたメディアは以下の通りです(過去に見たものも含めて)

 

立場が上の人間を撃退する作品例

\映画/

  • 蘇る金狼(昼間は「ただの暗い会社員」だが、夜は「凄腕の殺し屋」という主人公が会社を乗っ取る物語)

蘇る金狼

  • アベンジャーズ(アメリカのヒーローたちが集結して、悪の組織を崩壊に導くアクション映画)

\ドラマ/

  • 半沢直樹(数々のクズ上司を撃退していき、会社を良くしていく主人公の物語)

半沢直樹

  • 不毛地帯(戦後の日本商社を舞台に、主人公が社内のクズを撃退しながら昇進していく物語)
  • 下町ロケット(弱小下町工場が、大手企業の横暴に対抗しながら成長していく物語)

\アニメ/

  • 進撃の巨人(蹂躙してくる“謎の巨人”を人間が倒しながら、世界の真実を暴いていくアニメ)

進撃の巨人

  • キングダム(剣の腕を磨き続けた主人公が、後の秦の始皇帝と共に中華統一を果たす物語)

\特撮/

  • 仮面ライダー(悪の組織から平和を守る、ヒーローの物語)

仮面ライダー

  • 戦隊シリーズ(戦隊モノは5人のヒーローが団結して悪を倒す物語)
  • ウルトラマン(主人公が大きくなって、大きな怪獣を倒すヒーローの物語)

出典:Amazon.jp

潜在意識浄化で親と心理的和解

 

そして、約4年ほど実家で自尊心を取り戻し続けた結果、潜在意識浄化で親と心理的和解を達成しました。

 

なぜなら「父親・母親に不愉快な行動や発言をされれば“不愉快だ”“イヤだ”“キライだ”としっかり意思表明できるようになった」からです。

 

 

しかも、経済面の最大障壁だったトラウマも「“僕が高校時代に自殺寸前になった辛さ”を親父に理解させて、謝罪を引き出した(泣かした)」事で、毒親抑圧浄化を達成したのです!

 

そして、達成した後に気付きましたが「2011年8月初旬に月収100万円をコミットした=父親超えを覚悟した」という心理的背景が、僕が月収100万円を目指した理由だったのです。

 

なぜなら「父親が最高年収1,000万(月収約83万)の男だった為、抑圧克服する為にはそれを超える“影響力“を手に入れる必要があった」からだったと、達成してから気付きました。

 

刃牙 親子喧嘩 和解

出典:刃牙

 

その為に「10回も転職・失業」「営業に何度も挑戦」「自尊心を取り戻す為の自己投資1,200万円」という経験を、自分に注ぎ込んだわけですね♪(笑)

 

※ちなみに先程「人のエネルギー量は丹田で決まる」とお伝えしましたが、一番影響力が増すのは「覚悟を決めて乗り越えた成功体験」と言われています

 

その為「失業10回&職種転換4回」「既卒上京」「副業・起業挑戦13年」という「丹田を鍛える経験」を引き寄せたのです。

 

親の脛を齧ってる時の家族旅行

 

ちなみに蛇足ですが、親の脛を齧ってる時の家族旅行も色々連れて行ってもらいました。

 

具体的には「東京で貯めた50万円から毎月3万円払う生活」を続けていて、その頃(実家帰省後1〜2年目)に色々旅行に連れて行ってもらったのです。

 

親の脛を齧ってる時の家族旅行

\長野県美ヶ原高原・王ヶ頭ホテル/

王ヶ頭ホテル

出典:王ヶ頭ホテル

\三重県長島リゾート・ホテル花水木/

ホテル花水木

出典:ホテル花水木

 

まぁ「おばあちゃんが生きていた時に、年金はデイサービス以外のほとんどが実家生活費貯金に組み込まれていた為、贅沢旅行がちょこちょこ出来た時期」でもあったわけですが(笑)

 

とは言え、貯金を切り崩しながら生活費を入れる生活も2年目終わりに底をつき、再び稼げるようになる「帰省から5年後の37歳末」まで、3年ほど完全に「実家ひきこもり子供部屋おじさん」になりました(苦笑)

 

そんなクズ人生もやっていましたが、いずれにしても「両親とバトルばかりしていたわけではなく、愛情が降り注いでいたという父母の名誉」「そうまでしても潜在意識を書き換えたかった」と添えてお伝えしておきます♪

 

潜在意識変革で現実が変わる

 

ちなみに「潜在意識をご存知ない」場合に備えて、潜在意識変革で現実が変わるという話も補足しておきます。

 

そもそも「現実は、過去の出来事から形成した“信念(思い込み)”が原因」であり、イヤな現実を殺すには「間違った信念を書き換える必要がある」のです。

 

 

そして、その「信念」を司っているのが「潜在意識」と言われている無意識領域なのです。

 

潜在意識・顕在意識の違い

潜在意識

  • 「顕在意識」=お昼ご飯を何にしようか考える・人と会話するなど「自分がしっかり意識している事」
  • 「潜在意識」=歩く・走る・自転車を漕ぐ・車を運転するなど「かつては意識して行っていたことも、現在は無意識でやっている事」

 

潜在意識は、このように「道路では歩道を歩く」「包丁は食事を作るもので、自分や人を刺しては危ない」など、生命維持も担う重要な役割を持っています。

 

しかし、これが僕のように「年上の男性・女性に逆らうと“ナイフで刺される恐怖”を感じる」「定期的に“家出(失業)して、援助を貰う”負のループ」という、歪な潜在意識も形成したりするのです。

 

トラウマを浄化するのは怒り

 

そして、トラウマを浄化するのは怒りとも言えます。

 

なぜなら「トラウマとなった歪な潜在意識の記憶」は「怒りをガマンした結果引き起こされる」からです。

 

 

例えば、僕の場合「“ありのままの自分を愛して欲しかった哀しみ”から来る怒り」「僕の意見もきちんと聞き入れてほしかった怒り」などが根底にありました。

 

そして、この「未消化の怒り」が溜まるほど、心の病を引き起こしたり、納得のいかない現実の引き寄せが起こり続けるのです。

 

喜怒哀楽

 

その為、心理学の世界では「未完了の怒り」を適切に解放する事で、理想的な現実引き寄せを加速できると言われてます。

 

もちろん、適切な怒りの処理とは「憎しみの対象を直接殺す」「誰かに同じことをして鬱憤を晴らす(いじめ)」などではありません(相手を謝罪させるなどはありますが…)

 

あくまでも「過去のトラウマとしっかり向き合い、それを浄化する適切な対処法」を対応する事で、初めてトラウマ浄化を達成できるのです。

 

【36〜37歳】社会的自尊心復興体験談

大島諒一のプロフィール 37歳

 

諒

そして「実家家庭内でのトラウマ浄化」を達成した後【36〜37歳】社会的自尊心復興体験談を引き寄せました。

 

※ちなみにこの頃は、以下のような顔や雰囲気になっており「反抗期オーラが行き切った雰囲気」を感じるのはこの辺りからです(笑)

 

\36歳頃/

36歳頃

親を超えて社会的影響力発揮が始まった

 

具体的には、僕には親を超えて社会的影響力発揮が始まったという体験があります。

 

結局の所「自分自身の自尊心を取り戻した→歪な自尊心の人間がケンカを売ってくる」という引き寄せ範囲が広まった為、その責任を36歳頃から受け入れ始めたのです。

 

僕のヒーローアカデミア 余計なお世話

出典:僕のヒーローアカデミア

 

その結果「周りの人間関係とケンカになって勝つ→連動して“アフィリエイトブログの収入が右肩上がりで増える”」という循環に入っていったのです♪

 

吠える犬を放置する中年夫婦

 

まず、吠える犬を放置する中年夫婦との騒音トラブルを経験しました。

 

その犬は猟犬に属する犬種の為、何かと「隣の我が家の物音」などにも敏感に反応して吠える為、数年間は我慢していたのです…。

 

 

しかし、あまりにも「普段の日常生活音」「家の出入り」「窓の開け閉め」などで逐一吠えてくるのにイライラして、その内壁ドンしたり「怒りをそのまま表明」したりしました。

 

とは言え、その感覚にもいい加減ストレスが限界に達した為、ある朝「偶然顔を合わせた時」に、怒り気味に直談判したのです!

 

隣のクソ犬に改善依頼した例

  1. こちら側=犬を飼っている分には可愛いのかもしれないが、我が家の動きに一々吠えてくるのがイライラするので、改善してください!
  2. 向こう側=猟犬なので吠えなくなるのは無理だが、他のご近所にも迷惑がかかっている為、トレーナーのもとで矯正指導を受けさせる

 

正直、最初は「他の家の犬も吠えている」という逃げの姿勢を出されていたのですが「我が家(僕)とお宅の問題」という立ち位置から逃げ出させず、最終的に改善させる事に成功しました。

 

鬼滅の刃 責任

出典:鬼滅の刃

 

※今でも時々吠えてきますが、以前の「ちょっとした物音にも敏感に反応してくる」というレベルではなくなった為、ひとまず落ち着きました

 

咽せながらタバコを吸う中年男性

 

咽せながらタバコを吸う中年男性とのトラブルも経験しました。

 

具体的には「僕が自宅で仕事するようになってからの出来事」ですが、いつも決まって仕事を始めた途端「平日9時前に大声で咽(む)せる声」が頻繁に聞こえてきたのです。

 

 

そして、数週間は我慢していたのですが、あまりに「攻撃的な怒号で咽せる声」にイライラが限界に達した為、あるタイミングから窓を開けて犯人探しを始めました。

 

その結果、数日後に「中年男性がタバコを吸っている姿+大声で咽せている声が聞こえてきた」ので、自宅を出てイライラしながら意見しに行ったのです!(正直、初対面でした)

 

咽せながらタバコを吸う中年男性との口論

  1. こちら側=平日に毎日、僕が「これから仕事スタートするぞ!」と意気込んだ時に「死にそうな大声の咳き込み」が聞こえてきて非常に不愉快です!改善してもらえませんか?!
  2. 向こう側=肺が悪くなってるから治らないし、タバコを止める気はないけど、この時間にタバコを吸うのは止める

 

このように口論しながらも「朝の出勤前に、自宅前でタバコを吸わないようにする」「夜なら別にこちらも気にしない」という落とし前をつけることに成功しました。

 

龍が如く 死にてぇ奴だけ掛かってこい

出典:龍が如く

爆音バイクで出退勤する若者

 

同じく「自宅で仕事するようになってからのトラブル」ですが、爆音バイクで出退勤する若者の騒音に悩まされた経験もあります。

 

具体的には「天気が良い日に爆音バイクで出退勤」しているようで「バカでかいエンジンの始動音が窓を閉めていても聞こえてきて、イラッとするケース」が沢山ありました。

 

※昼になると会社から自宅に帰ってきて「奥さんの手料理でも食べてから会社に戻るスタイル」のようでした

 

 

その為、ある程度我慢していてもその音へのイライラが募っていった為、あるタイミングから「爆音が聞こえたら怒鳴り返す」というやり方を始めました。

 

龍が如く 嶋野の狂犬

出典:龍が如く

 

具体的にそれが功を奏したか?は不明ですが、しばらくしたら「爆音バイクを持ち出す機会が減った」ようなので、心のイライラがある程度晴れました♪

 

※バイク以外に車も持っている為「別に頻繁にバイクで行く必要なくない?てかウルセー(怒)」とずっと思っていましたから、それが伝わったのかもしれません(苦笑)

 

辛く苦しい15年間で得た自尊心

 

このような「強烈な自己否定」「自殺トラウマ」を乗り越えた僕ですが、そのような辛く苦しい15年間で得た自尊心が、今では何よりも「自分の誇り」となりました。

 

僕のヒーローアカデミア スタンディング

出典:僕のヒーローアカデミア

 

「我ながらよく頑張ってきた15年間」でしたし、具体的には以下のような「自尊心」を取り戻して来れたのです。

 

※ちなみにこの頃は、冒頭の写真でも出しましたが、以下のような顔や雰囲気になっており「トラウマ浄化+自尊心復興し切った雰囲気」を感じるのはこの辺りからです(笑)

 

\37歳頃/

日本景気の誇りの柱 体験談

トラウマを克服する為に得たもの

  • 東京上京して「上場企業勤務5年」「事務職・営業職・WEBライター職」のスキル・経験を得た
  • 新橋・赤坂・六本木の有名企業で働くことができ「一流のビジネスマンという誇りと自尊心」を得た
  • 自分は愛されて生まれてきて、今なお愛されて生き続けているという「自己肯定感」
  • 「良いと思ったものは良い」「悪いと思ったものは悪い」と誰に対しても堂々と言える「本音で生きる心」
  • 自分の人生は自己決断&自主独立して生きるという「TOPの意識」(I am the master of my fate. I am the captain of my soul.=我は運命の主人であり、我が魂の船長である)
  • 両親(親父・お袋)への心理的劣等感を克服し「両親との心理的和解」を達成

失ったもの

  • 過去の友人との繋がりや関係(単純に話が合わなくなった)
  • 会社や親に依存して生きる「末端意識」(注:会社員でも「TOPの意識」で生きる、素晴らしい方は沢山います)
  • 将来(お金・時間・人間関係・健康など)に関する不安
  • 自己投資に約1,200万円使った為、本来なら20代で遊べるはずだった「旅行代・衣服代・車代・遊興費&経験」

※ただし「この自己投資がベースとなり、年商3億円達成できた=結局はこれで良かった」と思っています

 

このような人生を経験できた事からも「自殺衝動トラウマを乗り越えた」「強烈な影響力を育めた」という自分を、今では誇りに思っています♪

 

以上が僕の前半生ですが、このように「具体的な潜在意識書き換え方法」について、僕は人一倍悩み苦しみ、改善してきた自信があります。

 

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長く繁栄している会社の社長が「寄付・慈善活動」などに取り組むのも「意識的or無意識的に関わらず、世の中に価値を提供する」という感情を育んでいるわけですね♪

 

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